アマンダおばさんの
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9月3日(水)

<夫婦>

各地の猛暑の便りを他人事のように聞いたここ仙台の夏も終盤に近付いたようだ。ほとんどが雨で過ごした7、8月だったように思う。そのせいか楽しみにしていたブラックベリーも今年は期待できなかった。犬舎のワンコ達は、毎日スタッフがバリカンを入れ、そして私がシャンプーしている。日ごろ犬舎の大人ワンコと幼犬はスタッフに任せているが、こうして毎日シャンプーの度にワンコ達と触れ合うことによって、1頭1頭の個性や健康状態が把握でき衛生保持が出来ることが嬉しい。
 子供達が家に居たころ6人全員揃っての家族旅行は当たり前だった。が、一人、また一人と独立をし社会人になると全員が揃うということがいかに難しいことかを改めて思い知らされる。それでも昨年の夏は末っ子がまだ学生だったので長女と孫を伴ってちょこっと旅行に出かけられたが、今年は全員がお盆休みを取れないという。医療関係の長男夫婦はお盆など滅相もなく、長女家族は他に予定があり、次男は一級建築士の二次試験の勉強で帰仙出来ず、末っ子の三男は外資系の企業につきお盆はないそうな・・・。Butどこにも行かないのもちと悲しいかな・・・と、ここから車で40分ほどの蔵王の麓にある「アマンダ・コテージ」の草取り方々近くの遠刈田温泉に主人と一泊のたび(旅というほどでもないので)に出かけた。
 かつてピクニックやキャンプに行き、大きいシートの上で賑やかにお弁当を広げるのが夢で4人も子供を生み育てた・・・あの頃のことがふと蘇る。しかしいつまでも子供を傍に引き止めておくことはできないのだ。子供達が独立した今こそ改めて夫婦の関係を見つめなおす良い機会なのかもしれない。幸い子供達が可愛いといって主人と一緒が嫌だとは思っていない。新婚当初の数年間2人だけの生活をし、その後の30年近くを子供達と一緒の毎日を過ごしてきた。そして再び訪れた夫婦2人だけの生活。だが夫の愛情は新婚時代とほとんど変わってはいないように思う。背が高くて今より痩せていてちょっとばかりかっこ良かったあの頃と違い、お腹が出て大分よれよれになったこと以外は・・。そういう私も大幅にくたくたになっているが・・・。結婚して35年余り、一貫して私のしたいようにしてくれた主人、お金に関してもストップがかかったことは一度もない。購入をためらっていると決まって「買ったらいいさ。遠慮することはないよ。」と言ってくれ、塾をやる時もブリーダーをやる時も「是非やったら!」と応援し積極的に手助けしてくれた主人である。
 昨年末長年携わってきた会社経営から退き今年還暦を迎えた主人。それに伴って毎日顔を合わす時間が殊更に増えた。よくレストランなどで注文したメニューを待っている間何も話さずにいるご夫婦を見ることがあるが、主人と私に関してそれはない。毎日のようにテレビの報道内容や世間で起きる事件について話し、暇さえあれば政治、経済、歴史、教育、芸術、旅行、子供達の話・・・その他様々なジャンルの話題で盛り上がる。   だが、それでも生活形態が変わり主人の在宅時間が増えるといろいろな場面でさざ波・・時には大波・・・いや嵐がやって来た。やって来た・・・と言っても主人が起こすのではなくもっぱら私が台風の目になるのだが。「ハリケーンカトリーナ」や「ハリケーングスタフ」のように。
 リタイヤー後他に仕事を見つけて勤めるご主人様も多いかと思うが、私宅の場合はブリーダーで、手伝ってもらいたいことは山ほどある。これまでもHPに関わることは主人が皆やってくれたし、早朝の営業用ゴミ出しなど手伝ってくれていた。が、それだけではまだ足りない。といった訳で老後の励みにあるビジネスを立ち上げ、軌道に乗り出した主人ではあるが、合間を縫って犬舎の手伝いもしてくれている現在である。
 生き物相手ゆえアバウトでは成り立たない、当初はサークルのフックを付け忘れたり、温度管理が飲み込めなかったり、与えるドッグフードの量がやたらと多かったり(注;多いとフードでお砂遊びをするワンコ有り)・・・とそのたびに私のクレームが入った。主人にとっては辛い丁稚見習いの日々が続いたのだった。他にもいろいろと食い違いが出てきたが、1年弱経過した今やっと細心に渡って流れをつかんでくれるようになった。動物病院や空港へも頻繁に行ってくれ、振り返ってみると主人が仕事で日中いなかった時代、よく一人でやっていたものだと不思議な気がするくらいに助けてくれている。
 ここ仙台の国立大学を卒業後大手家電メーカーの開発部に入社、将来を嘱望されていた主人。にも関わらず数年で退職したのは全て私のためだった。社宅暮らしが合わずこもりぎみになった妻を案じ、一大決心の元父の会社の跡継ぎに応じてくれた主人。転職した次の日からジープで現場回りを始めた。バブル期以前は絶好調のときもあったが公共事業の縮小により閉じざるを得なくなるまで仕事上の一切の愚痴小言を聞いたことがない。経済面や他業者からの軋轢など、かなりシビアーなことが続いたことは後になって従業員から聞いたことだったが、彼の口から聞かされることはなかった。もともと東京出身にも関わらず地元人に合わせいち早く仙台弁を習得した。子供達には小さいときから「お父さんのような人になってね」「お父さんのような人と結婚してね」と言ってきた。現在の仕事場にもなっている私の実家で健在の母(主人にとって義母)の世話をしてくれる主人でもあるが、夫として父親(母親)として、また親の子として子供達が主人のような人間に育ったなら子育ては成功したと思っている。
 ふとどうして私のようなものに一生を捧げているのだろうと思ったことがある。そのヒントがついぞ得られたことがある。ある時、子犬を見に来られた地元のお客様が約束の時間を守らなかったり、ワンコの見学後何の連絡もして来ないことをちょっと不足に思った私が、「仙台人て時間は守らないし、都合が悪くなっても連絡もなしにキャンセルするし、見学後何の連絡もないし・・・準備するのに随分時間と労を費やすんだけどな〜・・・。」と、かく言う私自身も仙台生まれの仙台育ちなのに、不平不満を主人にぶつけていた折のこと、「気持ちはわかるけれども・・だ。自分の生まれ育ったところを否定するということは、自分を否定することに繋がると思わないかい?」と言ったのだった。「自分の身近なものを否定するという事は自分の人生を否定するのと同じなんだよ」とも・・。そのとき、「そうか、主人は自分の人生を大切にするが故に自分の周りのもの全てを受け入れ肯定してきたのだ」ということがわかった。要するに住んでいるところはもちろんのこと、家族や己に関わる人々の一人ひとりを大切にすることが引いては己の人生を悔いのない仕合せなものにしていくものだ・・・ということなのだろうか。
 
人と言う字は支えあっている二人を意味する。夫婦二人、この先も互いを受け入れ肩寄せ合って生きていきたいものである。夫婦に限らず、人が人として生きた証は自分以外の誰かを愛し、互いに支えあって生きたかどうか、ではないだろうか・・・。

「欠陥だらけの私ですが、これからもどうぞ宜しくお願いいたしますね、あなた。」


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Copyright(C) 2001 S.Miyazawa
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