アマンダおばさんの
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2月8日(水)

ジジ・ババの役目>

一昨日長男が嫁さんとともに初めての子供を見せにやってきた。嫁さんが三重の実家でお産をし戻ってきたのは知っていたが、ワンコの方のお産が続いたため会いに行けなかった。夜中も起きて授乳するのは大変でしょう、と労うと「いえ、可愛いくて・・苦になりません」と言う。いつまで産休をとるつもりかと尋ねると、「3月の予定だったんですけれど、あまりに可愛いのでもっと延期しようと思います」とのこと。

 
長女の娘Mちゃん(2歳)
 

巷で報道される育児ノイローゼや虐待とは無縁の世界のようだ。そういえば彼女、医師の免許を取るまで決してスムースに事が運んだわけではなかった。「七転び八起き」、この言葉がぴったりかもしれない。泣きながら、それでもめげずに再チャレンジ、再々チャレンジした事を知っている。幾多の困難を経験しその都度歯を食いしばりながら乗り越えてきた彼女にとって、やっとできた赤ん坊はどんな宝石よりも価値ある大切な宝物に違いない。苦労した人には愛が理解できるのだ。主人の子煩悩ぶりを見て育った長男もきっと良きパパになるだろう。これからも長男家族を暖かく見守っていきたい・・。

近くに住む長女は単身赴任の婿殿が月数回帰ってくる以外は7歳と2歳の2人の子育てに大わらわだ。子育てでつまづく毎に相談を受けアドバイスをして今日まで来たが、今の所2人とも良い子に育っている(身内の欲目!?)。自分の子育てでも思い当たるのだが、子供を責めているうちは子供は決して良くならない。生まれた時は真っ白だった子が黒やら灰色に染まっていくのはひとえに育てている親の姿そのものが鏡に映った結果なのだ。自分自身、子育ての最中「どうしてこうなんだろう」と思って悩んだこともあるが、「鏡に映った自分の姿なんだ」と思うとかえって気が楽になった。「ああ、私が変わればいいんだ」と。わが子を含め他人を変えるのは難しい。自分が変わった方が早いし気が楽だ。他人を責めるよりある意味すっきりするかもしれない。
 婿殿も来春からはこちらに戻れそうだ。福島では災害後敵前逃亡する医師も多数いたという中、一貫して患者さんのため働いてきた彼氏。これを機に長女の家族もより良きファミリーに成長してほしいと願っている。
 子育てがうまくいっただけでは良き人生だったとは言えないそうだ。孫がどのように成長したかまで責任があるという。遠巻きに見守り、請われればいつでも手を差し伸べる準備はジジもババもできている・・・。

   



2月14日(火)
譲渡する子達の幸せを願って>

昨日長野県の白馬からご来舎いただきヨークシャテリアの男の子をご用命くださった。白馬と言えば若かりし頃夫婦で一度だけ行ったことがあるが、仙台からはかなり遠い。聞くと車で6時間かかったとのこと、雪深い彼の地から当方のようなところまでよくぞお出で下さったと、頭が下がる思いがする。先住犬だったヨークシャちゃんが亡くなり、もう飼うまいと思っていたがやはりいないと寂しい・・・。そこで私の所まで足を運んでくださったということである。ヨーキーを飼っておられる方は、ワンちゃんが亡くなったあともやはり同じ犬種のヨーキーが良いというケースが多い。愛犬が亡くなった悲しみからもう飼うまいと思うのだが、ワンちゃんがいるのといないのとでは大分違うようだ。中にはワンちゃんが亡くなって以来家の中から家族の笑顔が消えてしまったという方もおられた。

 
南フランス サン・レミ・ド・プロヴァンスにて。ヨークシャテリア


 亡きワンちゃんにはあまくほとんど叱ったことがないし、夜も一緒に寝ておりました、と仰る甘甘のご主人様の胸に抱っこされ、ヨーキーの男の子は緊張した面持ちで白馬の地に譲られていった・・・。きっと遅い春が訪れる5月頃には自然豊かな彼の地で目一杯のお散歩を楽しむことだろう。

先日HPでアプリコット・プードルの成犬里親募集をした。6歳の中年犬だがまだまだ元気。大事に管理すればあと10年くらい生きるだろう。何名かの方々から応募があったが、早くにお決めいただいたある方にお譲りすることになった。すると先日早速近況報告をお寄せくださった。
 「山形県のSです。Zは元気ですよ。初めて家にきた時は全然吠えないし静かなわんちゃんだと思っていたんですが、今は家の中を走り回ってます。
外出から帰ってくると喜んで迎えてくれますし、抱っこをピョンピョン跳ねてねだります。

 
パリ・モンマルトルにて。アプリコット・プードル

夜は一緒に寝てます。ダックスとも仲良くしてますよ」と。

何よりZが新しい環境に慣れつつあることを心より嬉しく思った。当方で生まれ、6歳まで皆と一緒に暮らしていた子が一般のご家庭にお嫁入りし、1対1で愛情をかけてもらえるのだ。どんなにか至福の時を過ごしている事だろう。想像すると本当に嬉しくなった。よく成犬だと懐かないんじゃないですか?と聞かれることがあるが、少なくとも当方の子達はそういうことはないだろう。常日頃からスタッフが愛情を持って接しているので人に対する懐っこさは十分持っている。里子の中には飼い主さんにとても気に入っていただき、里親候補のお友達を次々とご紹介していただくことが結構ある。

 
パリ・クリニャンクールの蚤市にて。アプリコット・プードル


 /11の大津波に遭い、当方から5歳で里子にお譲りしたヨークシャテリアが行方不明になったというAさん。探しに探してやっと5日目、公民館でワンちゃんに再会した時には嬉しくて嬉しくて、大泣きしてしまいました、とご報告いただいた。犬舎にいたあの子が行方不明になった・・・と聞いた時には私も可哀そうで生きた心地がしなかったが、見つかったときの飼い主さんの様子を知るにつけ、里子とはいえどんなにか愛情をかけてくださっていたのだろうかとたいへん感銘を受けた。

 
パりの地下鉄にて。シルバー・プードル

 犬舎のわんこ達を養育するのに経費がかかるのでどの子も無料と言うわけにはいかないが、無料の成犬里子であれ、有料のワンコであれ、そして6歳でお譲りする子であれ、1歳過ぎてお譲りする子であれ、むろん仔犬であれ、当方の子達は皆譲渡先で新しいファミリーに慣れ親しんで幸せになっている。その姿を見る(知る)ことが私にとって最高の喜びであり幸せそのものなのだ。


 
クリニャンクールにて。おすましのブラック・プードル


2月19日(日)
<母の足跡>

実家の母が住んでいた家から出て病院、介護施設でお世話になって以来寝たきりの生活になってほぼ1年が過ぎた。昨年のお正月、子や孫、ひ孫に囲まれて温泉に行ったのが最後だった。現在は認知症とまではいかないが現実と夢の区別がつかないときもあり、いわゆる「まだらボケ」の状態。主人と母は血がつながっていないにも関わらず似たところがあり波長が合う。ワンコで時間の取れない私に代わってこまめに施設を訪れては好物の甘系を差し入れに持って行ってくれている。
 しばらく続いたワンコのお産が一段落したので近くの施設にいる母の所に行ってきた。行ったついでにこちらに置ききれない家具を母の部屋に置いてもいいかと尋ねた。すると、「ああ、好きに使っていいよ。もうあの家に戻ることはないと思うから・・」と寂しいことを言った。父が亡くなってから母の好みに内装や庭を変えたというのに、もう介助なしでは生活できない体になってしまった。一人暮らしなどとうてい無理な状態なのだ。いつかこうなるだろうと想像はしていたが、何か寂しく、可哀そうな気がする。
 ふと母が元気だったころのことを思い出した。いろいろな場面が走馬灯のように思い起こされるが、おしなべて母は「他人の幸せを我幸せにできる」人だった。他人の不幸を一緒に悲しめる人は多いと思うが、他人の幸せや喜びを我ことのように心から喜べる人はどのくらいいるだろうか。他人がうまくいった話や喜び事を聞くのはなるべく避けたいと思っている人が大半ではないだろうか。中にはそうした話題になると聞いていないふりをしたり、話題を転じたりする場合もある。だが、母は昔から他人の華々しい出来事を同じ気持ちになって喜べる人だった。10人兄弟だった父の親戚一堂が会するとその子供も大勢集まる。母はできの良い親戚の子供たちの話が出ても、「そーお、すごいねー、立派だね。」と心から同調して褒めたたえる人だった。そこには出来の悪い娘(=私)を持ったひがみなど一切ない。小さい時私が「~ちゃんは、~に行ったんだって、いいな~」などと言いようものなら、「人を羨むなど恥ずかしいことだからやめなさい。」と諌められたものだ。そのお蔭か私も今ではあまり他人をうらやましく思うことはない。また、母ほどではないかもしれないが他人の幸福を我ことのように一緒になって喜ぶこともできる。母に似ているところはあまりないと思っていたが、少しは母の影響を受けていたかもしれない。
 ものの本に、「他人の喜びを我喜びにできる人は、いつか同じ喜びを手にすることができる」と書かれてある。
 少しなりとも母の跡をなぞって心豊かに生きたい・・。

●今週アップ予定;ヨークシャテリア 小ぶりオス、メス <父母ともティーカップサイズ>
 ●プードルのレッド・ティーカッププードル、タイニー、トイ各サイズオス・メス出産、順次アップ予定


2月25日(土)
<春に向けて>

例年になく寒い冬だった。実家の水道は水抜き栓で給水を止めなかったせいで凍結した水道管が破裂、結果1階のリビングと客間、廊下が床上7cmほどの水浸をしてしまった。丸1日水が出っぱなしになっていたことになる。幸い業者の方のhelpと主人の掻き出しで何とか収まったが、カーペット類が乾くのにしばらく日数がかかった。津波と比べれば些細なことかもしれないが、改めて大自然の威力と水の恐ろしさを垣間見た思いだった。


作並温泉・一の坊からの眺望 

 寒くて庭に出る元気もなかったが、しばらく放っておいた薔薇の様子が気になりちょっとだけ陽が差した先日外に出てみた。すると、強張った表情で立っているだけかと思っていた木幹のとげの合間にかすかにピンクの芽が出ているのに気が付いた。1本1本こまめに見ていくとそれぞれの幹に確かなピンクの息吹がそこかしこに・・。ただ2本、ペッシュボンボンとアッシュウェンズデイだけがむっつり状態・・・折角気に入ってメインステージに置いていたのにだめだったのかい? 没ですか? と、がっかりしながら数日後、あきらめきれずに再び観察・・・何とこの子達にもピンクの芽が出ているではあーりませんか、つつましやかに、遠慮がちに・・・。極寒だったが今の所全員助かったようだ。生きとし生けるもの、例え植物であろうが命は尊いものである。健気に乗り越えた薔薇の面々に一層の愛おしさを感じた昨今でした。
 昨日はスタッフのYさんのお休み日。代わりに主人と私が出番となった。主人は犬舎の一般成犬の世話。私はいつものお産前後の母子、子犬の世話の他に、十数頭の極小成犬たちの部屋の世話をする。Yさんが休みの月何回かだが、久しぶりに見る私の姿に皆嬉しそうだ。私の目と目が合うと恥ずかしそうにお尻を振り振りする子、中腰になった私の両腕にジャンプして飛び込んでくる子、「僕もおりますよ」と、立った両足の間にもぞもぞ入り込む子、何だか知らないけれど嬉しくてひたすらあたりを走り回っている子、反対に隅っこで密かに尻尾を振って密かに喜んでいる子・・・いろいろいる。表現の仕方はそれぞれ異なるが、皆素直で人懐っこく、可愛い。その中に赤ちゃんの時、神経質になった母犬に方足をかじられてびっこになったBちゃんがいる。不便さはあるがそれなりに自分で工夫して歩いている。毎日5時間ほど自由遊びをさせているのだが、誰ひとりとしてBちゃんをいじめるワンコはいない。さながらに、たださながらにBちゃんを認めている。またBちゃん自身自分をみじめだとも、「自分だけなんでなの?」とひがんでもいない。ただあるがままを、あるがままに受け入れているのだ。何て素晴らしい世界なのだろうか!

そこには人間社会には見られない崇高な空間が存在する。
 ワンコに接することによって自分がいかに心清められているかを実感する。決して人を裏切ることなく、いつも変わらぬ態度で心寄せてくれる彼ら(彼女ら)のお蔭でさながらの素直な自分自身を取り戻すことができるのだ。
 この喜びを一人でも多くの方に体験していただきたいと切に思う。

 
チューリップの芽










*3/1(木)より東日本大震災慰霊及び復興祈願のキャンペーンを予定しております。キャンペーンの収益金の一部は被災地のワンコのために寄付させていただきます。この機会にアマンダブルーのプードル及びヨークシャテリアをご検討いただきますよう宜しくお願い申し上げます。



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