アマンダおばさんの
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2015年12月
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12月26日(土)

<エミーの出産>
シルバープードルのエミーが予定日に出産した。前もって超音波検査をした時、頭数は2頭でしょう、と言われていた。お腹もさほど大きくないので2頭だろうと、レントゲンでの最終確認をスキップした。
やがて、陣痛がきて、するっと1頭が生まれた。タイニーサイズなので安産だ。子犬は80g。小さいと思っているうちに2頭目が生まれた。これでおしまい、と用意していた糸やはさみ、タオルを片付けようとした。ところががさがさと前足で穴掘り作業をしている。ひょっとしたらと思っていたらウンチングスタイルをするや否や3頭目が生まれた。「何だ3頭入っていたんだ。まあ、獣医師にも間違いはあるってもんだ」と、これで終わりとばかりに2階の室内運動場におしっこをさせに連れて行った。けれど、再びお産のサークルに連れ戻したのにエミーは浮かぬ顔。しばらくしてうーんと気張ったかと思いきや胎児の半分が出ていた。「あら?まだいたの?」急いで胎膜を除き、へその緒を切って糸で結び口の中の羊水を吐き出させた。タオルでマッサージすると間もなく「ピー」となき声を上げた。
 「2頭と思っていたのが4頭だったのね。やっぱりレントゲンで頭数を確認するべきだった」と反省。血で汚れた陰部を洗おうとシャワーを使ったがついでに全身をシャンプーして綺麗にしてあげた。疲れているとは思ったが、腹部の毛刈りもした。おっぱいが飲みやすいようにだ。
4頭の子達のサークルに戻すともぞもぞとおっぱいに群がってきた。これで一安心と、遅くなった食事をとろうとすると、、、ふと、見た子犬の数が4頭ではなく1頭増えて5頭になっていた。びっくりポン! だった。てっきり2頭だと思って食事も少なめに与えていたのに5頭とは! 子犬は平均80g、中には70gの子もいた。全員育つのだろうかとかえって心配になった。
 あれから3週間。全員が無事育っている。小ぶりでドワーフタイプのようだ。短い脚でよちよち歩く。離乳食にも興味を持ちつつある。
エミーは決して大きいお母さんではないが、3歳と言う絶好調のコンディッションだからだろうかたくさん生んでくれた。
先日同じエミーの子で、昨年生まれて譲渡したマイクロティーカップの女の子の飼い主さんとお話しする機会があった。1歳過ぎた現在1.1kgだそうだ。予想通りマイクロティーになった。とても元気で健康。家族の人気者になっている様子に嬉しく感じた。同様に信頼してくださったN様にも感謝だった。
エミーの場合は安産だったが、ヨークシャテリアをはじめ小さい親犬はほとんどが帝王切開での出産になる。帝王切開は3回まで、しかもヒートごとにはできないので1年に1回になる。中には1度出産しただけで癒着やその他で終わりになる子もいる。


12月16日(水)

<パリのテロ事件に思う>

羽生君の活躍には目を見張るものがあった。文字通り本人曰くの「血の出るような努力」の結果だろう。地元仙台の誇りに感じた。
 先月の半ば、パリで同時多発テロが起きた。あの美しいパリの街が流血で染まり、おびただしい警官がそこかしこで今でも物騒な銃を持って警戒に当たっていることを知るにつけ、とても心痛んでいる。
 ヨーロッパが好きで、主人とよくあちこちの国に旅行した。特にフランスは、好きな国の一つで、パリを拠点として過去4度ほど訪れた。旅行はいつも個人旅行で、出かける半年前から旅券やホテルを自分達で選び、予約を取ることから、旅の楽しみが始まる。
 初めてパリを訪れたのは20数年前のこと。当時は日本人への風あたりが激しく、レストランに入っても東洋人と言うだけでいつまでも注文を取りに来なかったり、案内された席が入り口付近の騒々しいところだったり、厨房付近だったりと、明らかに差別を感じたものだ。ホテルでは、「ボンジュール」とにこやかにホテルのスタッフに挨拶するのだが、全く無視され、しかも後から入ってきたスタッフ仲間には、にこにこと挨拶しており、「何という国だ」と思ったことを今でも覚えている。
 ある時デパートで買い物をしてレジに行くと、長蛇の列だった。日本のように店員が気を利かせて客が並ばないようにと配慮することはなく、やっと自分の番が回ってきたときに、品物に値札がついていなかった。すると、レジの店員は、「売り場に同じものがあるはずだから自分で見つけて交換して来い」と言うのだ。 「はあ?」と思ったが、仕方なく売り場まで戻って値札の付いたものを持って行くと、優先してレジを打ってくれるわけでもなく、再び最後尾から並ばなければならないという、日本では考えられない扱いだった。
 しかし、数年おきに2度、3度と行くうちにあの自己中なフランス人にも何か変化が起きているように感じられた。
 4度目の訪問は2年前のこと。パリを起点にその時はフランス北西部のブルターニュ地方を旅する計画を立てた。シャルルドゴール空港の入国審査の折、皆がすっとパスするのに、私だけがなぜか呼び止められた。互いに英語で、「どこから来たんですか?」私;「何?赤いパスポートを見れば日本だってわかるだろうに」…と思いつつ、が、ここは素直にと思い、「日本からです」と言うと、他にもいろいろやり取りがあった後、その中年の審査官の男性は、やおら一指し指を出してジェスチャーで私を窓口に引き寄せたのだった。そしてこともあろうに、小声でこう囁(ささや)いたのだ。 「I love you・・・.」と。  何という事を! この年老いたおばあちゃんに? 思わず、「No, kidding!」 「Are you joking? まさか、冗談でしょ!」と言って大笑いしてしまったのだった。恐らく他の人も見ている中で、その場の緊張をほぐそうと企んだからに違いないのだが、思いもかけない粋な計らいに、フランスと言うだけで何か構えていた緊張が一瞬で解き放たれたのだった。
 個人の旅は失敗もあり、アクシデントに見舞われることもある。けれど、現地の人に尋ねながら会話しながら行く旅は直(じか)に人間の温かみが伝わり、その国のことがよくわかる。2年前もレンタカーでいろいろな人に聞きながら目的地に着くことができた。「フランスの美しい村」の一つ、ジェルブロワでは道に迷ったため、夜の11時過ぎだったが、たった1件明かりがついていたあるお宅のチャイムを押した。すると、道を教えてくれるだけでよかったのに、遅い時間にも関わらずご主人がわざわざ丁寧に自分の車で道案内をしてくれたのだった。
 セーヌ河畔では、遊覧船の乗り場を探していると、遠くで犬と戯れていた人がわざわざ近寄ってきて親切に場所を教えてくれた。
 その町に長年住んでいる人に比べ、旅行者が云々することではないかもしれないが、パリの日本人に対する受け取り方が変わってきているような気がする。
 以前は日本人も今の中国人のように礼を失したところがあったのかもしれない。けれど、ここ数十年でたくさんの日本人が観光や留学、仕事の赴任でやって来た時に、日本人の礼儀正しさや誠実さ勤勉さ、控えめなことの美点がフランスの人達にもわかってもらえつつある現在ではないかと想像するのだ。空港で「アイラブユー」と好意的に言ってくれたことも、それまでこの国を訪れた多くの日本人の行いや人間性がバックボーンにあったからではないだろうか。
 宗教が心の支えになるどころか戦争の火種になっている現在、日本人のもともとあった倫理感がグローバル・スタンダード<世界の道徳的規範>になることを希望してやまない。
 アンケートによると、世界で一番人気の観光都市は「京都」だそうだ。京都には毎日のようにたくさんの外国人が訪れる。古い建物を見たり日本食を食べたり、爆買いするだけではなく、「他人を思いやるおもてなしの心」を是非お土産に持って帰ってほしいと願うものである。











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