アマンダおばさんの
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6月20日(木)

子や孫に伝えたいもの

 私には4人の子供と7人の孫がいる。
 4月には孫の小学校の入学式があった。 「皆さん、今日は晴れて1年生になり、おめでとうございます!」と校長先生のご挨拶が始まった。すると一人の子がすかさず「有難うございます!」と元気に答えるではないか。周りが爆笑した。また「これからたくさんお友達を作りましょう!」と先生がおっしゃると、その子はまた「ハイ!」と返事をした。更に、「ここにいる先生方は全員皆さんの見方です。困った事があったらいつでも相談してくださいね」と仰ると、「ハイ。有難うございます」と同じ子が答えたのだった。
 入学式に参列した帰りの車中私は、「すぐにハイ、とか有難うございます、という言葉が出てくる子は、きっと家の中で親がそういう生活をして見せているからだよね。」と言って主人と話した。
 しかし後で、式の最中笑いを買ったその子の事を話題にすると、「あれ、うちの子だよ!」と長男が言うのだった。私はそれを聞いてびっくりした。よもやその子が自分の孫だとは思ってもみなかったのだ。その時、心や頭の中がすっきりとして曇りのない孫の姿が何と有難い事かと嬉しい気持ち一杯にさせられた。
 私は娘時代、夫婦不和の家庭に育った。親から愛されているという実感が少なく、いつも劣等感いっぱいで自信のない人間になっていった。
 暗い家庭が嫌で、早く家を出たいと思っていた頃主人と出会った。この人となら仕合せな生活が築けると結婚した私だったが、自分の思いが先に立ち、主人とはいつも衝突が絶えなかった。それはまるで私が育った環境そのものだった。
 やがて子供が生まれると、我子には自分と同じ人間にはなってもらいたくない、と必死の子育てが始まった。が、一生懸命になればなるほどうまくいかず、焦る気持ち一杯だった時、ある文章が目に留まった。
 「子供は生まれた時は真っ白だ。それをピンクにするか真っ黒にするかは親の生き方一つにかかっている」と。以来、過干渉をやめて子供を信じ、良い所を見て褒め、親の後ろ姿をみせる努力をした。また、家庭の基本は「夫婦愛和」と知り、自分中心から主人中心へと心がけ、子供たちに沸き起こるすべての事は主人に相談し、伺いを立てた。主人はそれに応えるように大局に立った見方で話してくれ、折に触れ子供達の話を真剣に聞いてくれた。
 長男には小さい時からの夢があった。一生懸命応援してあげたいと見守っていたつもりだったが、大学進学を控えていたある日、私と口論となり、座布団を投げつけてきたのだ。ショックを受けた私は、女親だけではもう納められない、子供たちの思春期の今こそ真剣に主人中心の生活をしていかなければ、と心新たに思った。
 しかしその後長男は、浪人した4月ごろからストレスが原因の皮膚疾患が悪化して苦しむようになった。
 暑い夏が終わる頃、症状が全身に広がる一方で、歩くと擦れるため、「こんなんじゃ2学期から予備校にも行けないよ」と、ぽたぽたと大粒の涙を流して言うのだった。日頃私に言いたい放題ぶつけてくる強気の子が,それでも泣いた顔を見られないようにと背を丸め、絶望感に打ちひしがれた様子を見た時に,私は今までこの子に何をしてきたのだろうと思った。ちょっとばかり飲み込みが早いからと言って小さい時から過剰な期待をし、それがどれほどこの子を苦しめてきたのだろうか、と反省の気持ち一杯になったのだった。そう思った時、「今年は治療に専念したら。大学受験はいつだってできるし、人生は長いんだから、何も焦ることはないと思うよ。」と心から言ってやることが出来たのだ。主人も「君の事は100%応援するから余計な事は考えずに励みなさい」と言ってくれ、何か相談事がある時はひざ詰めで話してくれた。
 お陰様で長男はその後、皮膚疾患と向き合いながらも困難なハードルを乗り越え、夢を実現すべく念願の医学部に入学する事ができた。現在消化器外科医として、人様の命のために働かせていただいている。
 あの東日本大震災では、医療のボランティアとして不眠不休の救護にあたった。今思うと、受験時代のあの苦しい経験は決して無駄ではなかったのでは、と思う。患者さんの気持ちのわかる医師になるための試練であり、人を思い、人を大切にする心を育むためのものだったのかもしれない。
 「お父さんに聞いてご覧」「お父さんの言う通り」と主人を立てた生活に努力させていただいく中、4人の子供たちは皆父親を尊敬する子に育った。結婚した現在も父親の生活を見てまねているようで、どこどこまでも伴侶を大切にし、夫婦仲良く子供に愛情を注ぎ、愛和な家庭を築いている。入学式の孫の姿は長男夫婦の日頃の表れであり、孫をまっすぐ育ててくれていることに、有難い気持ちいっぱいになる。
 とかく無意識に家族である事に安住してしまっているが、家族が単に揃っているだけでは本当の家族とは言えないのではないだろうか。家族一人ひとりがお互いを思いやりながら、それぞれに与えられた役割を果たすべく行動し、家庭を愛和のある場所にしようとするからこそ真の意味での「家族」になるのでは、と思う。
 これからも子や孫に善きものを伝えていけるよう努力したい。





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