アマンダおばさんの
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2/1(水)

<受験>

時正に受験シーズン。テレビでも大学センター試験、中学受験、私立高校受験・・・と、この所頻繁に受験生の様子や塾、家庭の緊張感を伝えている。わが家でも昨年まで毎年が受験生の家庭だった。長女の高校受験から始まって、長男の高校受験、長女の大学受験、次男の高校受験、長男の大学受験、三男の高校受験、長女の(薬剤師)国家試験、次男の大学受験、三男の大学受験、次男の大学院受験、長男の(医師)国家試験、三男の大学院受験・・・しかも浪人もしていることから我が家の受験歴は延々16年間に及ぶ。しかし子供たちの受験に対し必要以上に過干渉にならずに済んだのは、塾及びブリーダーという熱中できる自分の仕事があったからに他ならない。塾は自分の子供以上に塾生の進路を考えなければならずそちらのお世話がたいへんだった。ブリーダーは命を預かる仕事ゆえ、時に子供の勉強よりワンコのほうが心配の時もあった。しかし受験の子供にとって親が自分以外のことに集中してもらうことは却って気が楽とも言えるのではないだろうか。熱心に仕事をしている母親を見、次男などは「僕も何かしなくてはいけない、一生懸命勉強しなければ 」、そう思ったと後で話してくれた。ワンコがいるため耳栓をして机に向かった子、学校の図書館や予備校の自習室を利用して勉強してくれた子供たちには感謝である。
 我が家の子供4人は、仙台というかなり遅れた土地柄のせいか首都圏のいわゆる「お受験」とは無縁の世界で生きてきた。幼稚園は、英才教育の幼稚園が一応あったがスキップし、森の中の自然溢れる自由保育の幼稚園を選んで何年間かを過ごした。子供のうちある子は保育時間中お絵描きに熱中し、ある子は虫を追いかけて大半を過ごした。先生が指示する設定保育は限られていて、子供がしたいこと、興味のあることを尊重してのばす教育方針だった。その頃英才教育の幼稚園では俳句を暗記させ、英会話を取り入れ、漢字を教え、音感教育をし・・・と知的能力の開発?に力を注いでいた。能力のある子は良いかもしれない、だが、その影で何人の子がついていけず自信をなくしてしまっていたか、実際我が子が劣っているのではないかと悩んでいるお母さんがいた。教育とは「引き出す」ものであって「押し付け」であってはならない。押し付けはいずれ物心がつく頃に反発となって返ってくる。「自分の興味のあることに集中する」、幼児期子供たちにこうした場を与えてくださったシュタイナー方式のM幼稚園に今でも感謝している。4人の内送り迎えの関係で保育所に入れた子達もいたが、保育所では、今ではほとんど見られない異年齢の集団遊びが実現できた。昔はよく「ガキ大将」の群れがあってそれぞれ役割分担を持って遊んだものだ。遊びを通して 目上、目下の関係を自然に学ぶことができた。お昼を食べたあとのおかたずけの当番、昼寝のあとの布団のかたずけ・・・他躾も身についた。もちろん幼稚園も小学校も受験はなし。
 <この先は三男のことに絞って話を進めることにする> 小学校は歩いて10分の公立の小学校に通った。 先日首都圏の有名私立K中等部受験の小学生の生活をテレビが追っていた。学校から帰るとすぐ塾だ。夜遅くまでかかる塾に父親が迎えに来る。受験間近かな家庭に緊張が走る。同じ小学6年の頃、三男は一体何をしていただろうかと振り返ってみる。学校から帰ってかばんを置くともう姿は見えない。近くのターザン森と言われるところにターザンごっこをしに行ったり、化石を取りに行ったり、ファミコンをしに友人宅に直行した。ワンコの散歩の途中 近くの川で友達と水浸しになって遊んでいる我が子に出会ったこともある。三男の部屋を覗くとやたら原稿用紙が多かった。学校で作文を書いたものだろうとよく見ると何とそれらの多くは「始末書」だった!それは時に「教室の2階から通る車めがけて友達と雪の塊をぶつけた」反省文だったり、「準備室のガラスを友達とふざけて割ってしまった」反省文だったり、「理科室にあった人体の骸骨の見本を壊してしまった」反省文であった。
 「ほんとにぼくがばかでした・・・」から始まる反省文は小学6年だというのにほとんど平仮名ばかりで漢字などない、小学1年生の作文か?と見間違える稚拙な文章でありました。そして謝罪のはずの文章が、最後は「そういうとしごろなんですよー。」と結んであり、それを受けた担任の先生からは朱筆で「そういう年頃・・・で済むほど世の中甘くありません!」などと興奮したメッセージが書かれてあるのでありました。中学受験に向かっている都会の小学生とは月とすっぽんの小学時代でありました。
 その彼が中学校に入った。もちろん有名私立中学などではない。自宅から歩いて3分の公立中学だ。もっとも勉強では有名でないが不良が多いので「有名中学」ではあるが。率先してやるのが好きなのか3年間を通し文化祭の実行委員長、学級委員、学年委員長、生徒会の議長を務めた。一方でいわゆる不良と称された軍団からも一目置かれた存在だった。ある時三男と一緒にビデオを借りに行くとそこに軍団がいた。髪を染め、はみパンのルーズないでたちだ。目ざとく見つけた軍団に暖かく迎えられた三男がしばらく彼らと談笑して戻ってきた。「何を話してたの?」と聞くと、「タバコ吸わないか?」と聞かれたので「いいや、いらない」と答えた。「一緒にゲーセンに行かないか?」と誘われたが、「行かない」と答えた。で、「じゃあな」と別れてきた、と状況をさりげなく説明してくれた。その時私は三男が一般生徒のみならず問題?とされるいわゆる不良の生徒たちからも一目おかれ人気があるのだということを知った。彼らには彼らの魅力があるのだろう、何かにひかれて子供は近づいたに違いない。「あんな人たちと付き合ってはだめよ」などという必要はない。子供自身が必要ないと認めた時点で離れていく。その証拠に親友だったある子がナイフを持ち始めたときから見切りを付けて離れていった。子供は親の見本の通りになっていく。あれこれ心配するより親自身の生活を正す方が早いのだ。
 塾は友達が来るので嬉しいらしく、抵抗なく「お母さんの教室」の生徒になった。そのかいあってか上の兄2人の入った学区トップの進学校に(まぐれで?)受かった。学区トップとは言っても全国的にはたいしたことはない。高校3年間はこれぞとばかりに柔道の部活に燃えた。まるで柔道をするために高校に入ったようなものだ。2歳年上の兄も柔道部にいた。兄弟で取り組んでいる姿を参観日などに垣間見た。
 高校は部活をするところ、と割り切っているのだろうか、見事に地元の国立T大をすべり、やむなく(というか必然的に)予備校のお世話になるのでありました。心入れ替えて勉学にいそしんだか、はたまた予備校の講師の腕が功を奏したか、お蔭様にて私立W大学とK大学の理工学部両方に合格を果たした。最終的に本人が選んだのは幼稚舎や中学受験で有名なK大学である。

 三男がたどった道はお受験組の方たちのようになスマートさはない、小、中学校は生徒の能力差がありすぎて授業も決して能率的とはいえない公立だ、しかし選別された特定の人の層だけではない、社会を組織作っているあらゆる層の人と関わることにより得られるものは決して少なくはない。人の心は頭だけではわからないからだ。実際にいろいろな人たちとかかわらなければ理解はできないものなのだ。
 エスカレーター式の中高一貫はメリットが多い事は確かだ。だが、安心と停滞は退化に繋がることもある。ハードルは多ければ多いほど人を鍛え、持っているものをエデュースさせる。私自身中学〜大学までのエスカレーター校で学んだが、果たして持っている能力を出し切っていたかというと甚だ疑問である。挫折もまた必要だ。人は挫折のたびに竹に節目がつくがごとくに強くなる。
 三男が引越し屋のアルバイトをした。引越し屋の「先輩」は厳しい人で、仕事をスムースにやらないと口汚くののしった。最後までついてくる人はおらず今までのアルバイト学生は皆いやになって途中からやめていった、と言う。「最後までついてきたのはおまえだけだ」と話してくれた。「大学卒業したらおれんとこ来ないか?」と誘われ、心の中で「行かねーよ」と思いながらも体よくお断りしたようだ。
 首都圏の進学校では部活をさせない学校も多いと聞く。高校の3年間(正式には3年の春のインター杯まで)部活をやった、と言ったら周りから驚かれたと長男が言っていた。だが、部活を通し人と人との和を学び、上下の関係を体得し、試合のたび味わう挫折はどれだけ人を成長させそして「打たれ強い人間」にすることか・・・。親は一時のことに目をとらわれず一生という長いスパンで子供を導いていかなければならないとそう思うものであります。
 三男は大学の4年間も柔道部で励み、他方でやりたいことの目標に向かい、この4月から引き続き大学院に進む。学内で最も厳しいことで有名な教授に引き上げられて・・・。
 受験生諸君には万一思う結果に終わらなかったとしても七転び八起き、道は幾重にも広がっている、あきらめずに励んでほしい。

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2/11(土)

トイレの躾に思う

子犬を譲り受けてニューオーナーとしてまずすべきことはトイレの躾であろう。この課題がパスできるかどうかで子犬の待遇が違ってくるといって過言ではない。ほとんどのご家庭では失敗をしながらも遅かれ早かれ覚えるものだ。中に、「来てすぐに覚えました!」「一度も失敗しません!」との譲渡者からのご報告もある。が、稀になかなか覚えなくて困った、という話も耳にする。 経験上言える事は、一日家に居て小まめにワンコを見ていられるお宅では比較的早くに覚えるということ。しかし今の世の中1日中家にいるオーナー様は限られている。そのほとんどがお仕事で家を留守にする。だがひとつ言える事は、留守が多い少ないに関わらず愛情が深いオーナー様のワンちゃんは覚えが早いか、多少遅くとも必ず覚える、ということだ。

私自身多頭飼いなので全てのワンコをリビングに放して飼う、ということは、現在は不可能な状態だ。生後3ヶ月半からは犬舎内の運動場で幼児組だけで半日以上の自由運動をさせるが、その際新聞紙の上にウンチやおしっこをする。あとは各ゲージの中で休む。特にトイレの躾はしていないが、新聞紙の匂いに反応して用を足す習慣はついているといえる。従って一般の御家庭での躾の参考にはならない。だが、私にも「一般の家庭でのペット飼い」の時代があった。そして失敗と成功の両方を経験した経緯がある。

結婚したての頃社宅でヨークシャーテリアを買った。独身時代マルチーズを飼っていてトイレの躾はできていたが、それは学校に行っている間母が面倒を見てくれたお陰なのでトイレの躾は初めてのようなものである。部屋の隅に新聞紙を置いておけばおしっこ、ウンチをしてくれるだろうと安易に考えていたのが「ウン」のつき、なかなかその場所にしてくれなかった。初めは「だめよ〜」程度だったのがあまりはずしてばかりいると次第にかとして叱ることが多くなった。時にはもらしたおしっこに鼻先をつけて「だめ!」と叱ったり、体罰を加えた。その頃は私も未熟な人間だった。悪いのはワンコで、悪いことをしたら厳しく教えなければ、と信じて疑わなかったのだ。その子は次第にびくびくする犬になっていった。おしっこやウンチをするたびに叱られるのでしまいには見ていないところで隠れてするようになった。掃除の時カーテンの陰に前にしたウンチが転がっているのを発見したり、それとはわからないようにおしっこがバスマットにしてあったり、とそんな状態が続くにつれ、次第にこの子は全く頭が悪く、性格も可愛げないと決め付けるようになってしまった。 だがしかし今考えると頭が悪く、おどおどした性格にしてしまったのは他でもない、この私なのだ、ということに気がつくのだ。このヨーキーはその後可愛そうなことに難産の末、獣医師の処置にも拘らず敗血症で亡くなってしまった。今思うと何と不幸な人生(犬生)を過ごさせてしまったのだろうと涙が出てくる。

その後私たち夫婦は父の会社を継ぐために仙台に戻ってきたが、子育てが一段落後に最初に飼ったワンコはシルバーのTプードルだった。前のヨーキーのことがあったのでトイレの躾に同じ間違いは犯すまいと注意し勉強して対処した。真っ先に考えたのはいうまでもなくトイレの場所だった。これがとても大事だ。なぜならトイレの躾ができないわんこの多くはどこがトイレかをきちんと教えられていない場合が多い。「そんなことないでしょう」というかもしれないがそうではない。人間の子育てでも同じことだ。おまるあるいはトイレに座らせて「ここでシーしようね。」となんどもなんども教えて初めてそこがトイレの場所などだということがわかるようになるのだ。その際子供がおしっこをしてからでは遅い、ワンコがおしっこしてからでは遅いのだ。そろそろする時間かな?と思ったら人間の方がトイレの場所に連れて行く必要がある。ワンコというものは起きた時まずおしっこをする、食べた後も消化器がつまった分出てくるはずだ。子犬の時代なら30分もじゃれて運動をすればおしっこやウンチがしたくなる。そのときにサッとサークルに連れて行く。できれば周りが囲まれている方が良い。瞬時をキャッチできなければ教えるのは難しい。日中お仕事をしている場合はその分トイレの躾が遅くなることを理解して欲しい。

前のシルバーにもどるがこの子はバスルームのスノコにおしっことウンチの躾をした。用を足したあとシャワーで洗い流せるのが最大のメリットだ。(難点はバスルームに続くドアーを開けておかねばならないこと) そろそろかな、と思う頃合を見てバスルームに入れてドアーを閉めた。スノコには新聞紙が敷いてある。おしっこ(あるいはウンチ)をしないうちは絶対ドアーを開けなかった。すぐするときもあったが、なかなかしないときもあった。「ウオ〜ン、ウオ〜ン」と延々泣き続けることたびたび、しかもバスルームは人が通る歩道に面していた。通る人がワンコを虐待しているのではないかと疑うのではないかと案じた。しかし気にせずこれを貫いた。心を鬼にしてバスに閉じ込めてもちゃんとおしっこをしたときには大げさなくらいに褒めてスキンシップしてあげた。トイレができた時トリーツなどのご褒美をあげる人もいる、また遊んであげるなど楽しい思いをさせてあげる、という人もある。私は食べ物をあげることは思いつかなかったが、とにかくとことん褒めて、トイレをちゃんとすることがどんなに嬉しいことで快い事かを体で表した。おしっこ、ウンチをすると喜ばれ褒められることがわかってくると、ほんのちょびっとでも無理やり出し切ってするようにもなった。おしっこをするとバスルームから出してもらえることがわかるからだ。そうやってしっかり教えたシルバーはそれ以来98%、生涯のほとんどがめったにお漏らしをしない優秀犬になった。このワンコ、よそのお宅に行っても絶対漏らさない。ある時友達の家に連れて行ったら何と友達の家のバスルームに行っておしっこをしたのである。シルバーにとって<バスルーム=トイレ>がしっかり頭にインプットされていたのだ。妥協なくしつけ、一方でゆるぎない深い愛情を持ってワンコに接する、これが鉄則ではないだろうか。バスルームでなくともサークルでも同じように躾けられると思う。が、あくまで意地悪や憎しみを持って接してはいけない。

もうひとつ、叱らないで教えた子は覚えが早いということが言える。失敗をした時叱らないのではわからないだろう、と思うかもしれない。けれど案に反して結果は反対だ。子育てでも同じこと、悪いことをしたと、叱ってばかりいると親子の信頼関係が揺らいでくる。悪いことをしたら叱らなければと、たたいたり怒鳴っていると飼い主からワンコの心が離れていくのだ。トイレを覚えないことよりオーナーさんとの心にひびが入ることのほうがずっと悲惨だ。信頼関係が崩れると覚えも悪くなる。 我が家で唯一のペット犬キャビアはトイレが完璧だ。おしっこもウンチも今まで漏らした記憶がない。常に電話台の下に置かれたトイレにきちんとする。長女がキャビアを飼う事になった時、チワワに詳しい友人から「チワワの小さい子は怒鳴っただけで癲癇をおこすことがあるし、頭部の大泉門があいていることが多いから頭などをたたいては絶対だめよ。」と教えられた。そのため長女は一切叱ったり、たたくこと無しにトイレの躾をした。その結果はどうだろう・・・、すぐに覚えたのである。その頃長女は病院の薬局勤めで1日フルの仕事をしていた。その間キャビアはマンションに放しっぱなしのままだったが、帰宅後見るときちんと決められた場所にトイレをしていた、と言う。住む場所は変わりトイレの位置も変わったが、現在も引き続き同じトイレ事情であることは言うまでもない。

子犬育ては人間の子供育てと繋がるところがあるのではないだろうか。孫は只今1歳9ヶ月、何にでも好奇心を持って触りたがりひとつひとつどんなものかを確認している。先日も物をテーブルから次々落としていた。その都度「あーあおっこっちゃったー、 アップね(叱る言葉)」と言っていたが叱られている感じがするのだろう、やめるどころか今度は食べ物も落っことすようになった。ついにたまりかねた時ふと気が付いた。悪いことをした事は本人もうすうすわかっているのだ。だが悪いことに拘泥して叱ってばかりいたら子供はきっと自分は悪い子なんだ、と思ってしまうに違いない。自分を否定する者と信頼関係を結ぶのは難しい。 子供を叱るより良い点を見つけて褒めることのほうがずっと良い結果に終わる。悪い点は見てみぬふりをして取り上げない、無視をするのだ。むしろ良いことを探してでも褒めてあげると、悪いものはいつの間にか消えていくものである。なぜなら褒められると人は自分を認めてくれた人を信頼するようになる。そして次第に信頼している人が嫌がる事はすまい、喜ぶことをしようと思うようになるものなのである。人のあるいはワンコの、美点を集中してみるのと欠点に拘って見るのとでどちらが双方にとってより仕合せ、と言えるであろうか。子供やワンコ、あるいは身近な人の美点を見て過ごすと、見られている本人(本犬)が仕合せになるばかりか見ている自分自身もきっと仕合せな気分になるに違いない。

 「待つことが愛だと知った地球博」というサラリーマン川柳があったが、まさしくその通り、ワンコがきっといつか覚えてくれる、と「待つ心」で優しく導いてほしい。おとなになればタンクが大きくなって一定時間貯めておくこともできるようになる。近所のプードル(成犬)は、朝晩のお散歩の際に出し切り家の中では一切しないそうである。是非ともワンコとの絆をあきらめずに深めていってほしい・・・。

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2/25(土)

子犬がもたらす仕合せ>

 子犬の譲渡を通しちょっとしたドラマを垣間見ることがある。
 先日お譲りしたプードルの女の子(ティーカップP)は、HPにアップする前からご主人様よりお問い合わせを頂いていた。お仕事の出張の折あちらこちらのペットショップや他のブリーダーさんのところに行って子犬を見るのだが気に入った子が居らず、ネットで当方をさがしていただきご連絡をいただいたものだった。生後1ヶ月まではお披露目できませんという当方の意向を呑んでいただき、出産情報でのアップを待って早速ご予約をいただいた。「あー、これでやっとゆっくり寝られます。」とおっしゃるご主人様のお話を伺うと、結婚しているがお子様が居られないご夫婦であること、奥様の2月の誕生日にこの子犬をサプライズのプレゼントにしたいということを知った。わくわくしながらそして嬉しそうにお話される様子に、何とおやさしい御主人なのだろう、そして愛妻家の御主人を持った奥様は何と仕合せな方なのだろうと・・・きっと素敵な奥様に違いない・・・と想像したのでありました。「妻に内緒なので」、と子犬を迎えるにあたり普通は女性が準備するサークルやサプリメントなど全てご主人様がそろえなければならず、折に触れお電話でお尋ねいただいた。1ヵ月後子犬を空輸した。受け取るや否や「無事着きました」との御連絡。そして1週間後、ご丁寧に近況報告をいただいた。「もう子犬に夢中で・・・! 外出が多かった妻が全く外に出かけなくなりました。私も仕事が終わると真っ先に家に帰るようになり、予定していた出張も取りやめました。わが子が我が家に生まれたのと同じ状態です!こんなに可愛い良い子を我が家にお譲りいただき本当に有難うございました!」と喜び一杯のお電話を頂いたのでした。良かった・・・心からそう思わせていただいた。これでより一層ご夫婦の絆が深まり、素晴らしいご家庭になっていくのだろうと思うと我が事のように嬉しく思った。
 他にも、受験の時期ということもあり私立高校に合格、御子息のお祝いにと子犬をご予約いただいたり、結婚5周年の記念に子犬を、とご予約をいただいている。
 子犬がファミリーの一員に加わることにより、是非是非御家族の絆を深めより一層御仕合せなご家庭を築いていただきたいと切に願うものであります。


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2/28(火)

褒めるべきこと、褒めてはいけないこと

 ダックスのお産。仮死状態で生まれた子犬はこの世とあの世の選択圏のなかで揺れ動く。心臓に耳を当てるとコト コトコト・・・・コ・・コトコ・・・と止まったり動いたり不確かだ。タオルでマッサージをする・・・ と白かった舌が次第に赤味を帯びてくる。顔をのけぞらしていた子犬も5分後にはしっかり首をもたげミューと一声泣いた。この声がこの世に生きることを決心したサインだ。それにしても心臓は偉い! 生まれた時から延々と、わんこなら10数年間、人間ならば80、90年間も動き続けるのだ。仕事でも勤務と休養のインターバルがあるから体が持つ、ずっと継続して何かをやり通す事等不可能だ。なのに心臓は何十年もの間一刻も休むことなく動いている。死の瞬間まで・・・。改めて心臓に感謝し頭を下げたい。
 前のダイアリーでトイレの躾について「褒め育て」を推奨した。わんこは決して思い上がらない純粋な生き物だから褒めて育てるのに何ら問題は無い。だが、人間はあさはかな動物である。褒める対象を間違えると時に傲慢な人間を造る結果になる。子供がしたことで褒めて良いのは、人として正しいことをした時、他人のために何かをした時、努力をした時である。反対に褒めていけないことは、頭が良いこと、成績が良いということだ。昨今東大出身の会社経営H氏、同じ東大の議員N氏の問題行動がマスコミや世間を賑わせている。批判はよくないが、教訓としなければならないことは多分にある。彼らの幼少期を想像してみる。たぶん東大に入る能力がある彼らは小さい頃から天分を発揮していたことだろう。東大レベルはもちろん努力無しではいけないが素質が多くの%を占めると言っても良いのではないかと思う。息子たちの高校で東大に現役合格したある子は、3年までバスケット部のキャプテンをしていた。土日は、というと好きな映画に行ったりゲームをしてよく遊んでいた、との友達の証言である。にも拘らず東大に合格できたのはなぜか?それは授業中に内容を全て覚えてしまったからである。家で予習復習のフォローはしたと思うが部活もやっていた彼に体力的な限界はあったと思う。  頭の良い子は集中力が並ではないのだ。(少し話しがずれたが・・・)  ということでH氏もN氏も親や周りから「頭の良い子だねー」「すごいねー」ときっと成績を褒められたに違いない。親というものはばかな存在で、わが子が優秀と知るやそのことに夢中になってしまう。まるで頭の良いことだけが唯一価値のあることで他はどうでもよくなってしまう。勉強以外のことで問題あり、と認識していてもあまり気に止めなくなってしまうのだ。  ここでわが子のことを出すのは僭越ではあるが、身近なところでしか体験談は話せないのでご勘弁くださいませ。4人の子供のうち長女、次男、三男は(頭に関して)まあ普通だった。だがどうしたわけか長男は小さい頃からちょっと違っていた。長女の幼児期の加熱教育で失敗した私は反動で一切の押し付け教育は止めにした。ひらがなや数字を教えた記憶はない。本はたくさん与えていたが、姉に教えてもらったのかいつの間にか読めるようになっていた。4歳ごろ小学生向けのことわざ辞典に夢中になった。何冊かシリーズになったものだ。母が来ていたある日ある状況になった時長男が「こういうとき、〜って言うんだよね」とことわざを持ち出した。恥ずかしながら私はそのことわざを知らなかった。未だに何と言うことわざか思い出せないが、側にいた母は知っていた。「そうだよね。こういうときはこう言うんだよね。」と母がしきりに感動していたのを今でも覚えている。また長男はその場の雰囲気に沿って冗談を言うのが得意だったが、ぼーっとしている私と長女は長男の口から漏れる冗談がどういう意味なのかすぐにはわからなかった。しばらく考えて「あ〜そういう意味だったの」と、数分してから笑ったものだ(情けない・・・)。プラモデル作りは大好きで、これが現在外科医を志す一因になったのだが、手先の器用さは抜群で幼稚園時代にかなり手の込んだものまで作っては完成させていた。小学校時代は持って帰るテストが軒並み100点だった。5、6年になってやっと95点だの97点というのがあった。中学の県下一斉模擬テストでは仙台2学区ある南学区で1番を取ったこともある。大学は国立大学の医学部を卒業した。東大の理1、理Uと同じ偏差値だ。<自慢話をしようとしているのではない。この位は賢いお子さんをお持ちの親御さんならきっと経験済みのことと思う。ここから先を知って欲しい>  この長男に私は例に漏れず夢中になった。自分自身がぼーっとしているので自分ができないことを息子がやれることに驚きを感じたのだ。子供の前であからさまに「頭いいいねー、すごーい」と言ったり、両親の前でそのことを披瀝した。 だが困ったことに子供は次第に偉そうになってきた。弟をいじめるようにもなってきた。 彼にとって頭が良いことを褒められるのは人格を認められるのとは別個のもので、頭が良いことを賞賛されるたびに自尊心が傷つけられたに違いない。人間のもっとも尊厳たる心の部分に十分な評価を与えられない欲求不満に空虚感を感じ心荒れたことだろう。そのことに気づいたのは小学生になってからだった。以来褒めるのは、家の手伝いをしてくれた時、弟たちの面倒を見てくれた時、約束をきちんと守った時、留守番が出来た時、主人やおじいちゃん、おばあちゃんの言うことを聞いた時、人にやさしくできた時、きちんとあいさつができた時etc.人として生きていくうえで大切な倫理、道徳がなされたときに褒めるようにした。間違って頭の良いことや成績の良いことを褒めてしまった時にはこう言った、「やっぱりお父さんの子だね。」とか「出来るのはおじいちゃんのこういうところを継いでいるからだね。」と。 対象者を持ってきて褒めることにより、自分が出来るのは自分の力だけではない、親や祖父母のお陰なのだということがわかってくる。同時に謙虚な心が培われ目上に対する尊敬の念が生まれてくる。
 お陰さまで少々高慢だった長男も他人への思いやりを持てる人間に変わってきた。一緒に食卓につくと間髪入れずにさっと主人にビールを注ぐ。レストランではステーキが切りにくいだろうと祖母のお肉を切り分けてくれる。春休み、夏休み、冬休みは例え費用がかかっても実家に帰って顔を見せるのが親孝行と、学生時代休み毎帰仙してくれた。今弟にもそうするように言っている。長男がいる席は常に楽しい話題で一杯だ。いつも皆を笑わせてくれる。
 H氏が、自分が今日あるのは親祖先他たくさんの方たちのお蔭様なのだ、と小さい時から教えられていたならばきっと今の結果は違っていたはずだ。莫大な利益を生んだとしても真っ先に株主に還元していただろうし利益の一部は(ペ・ヨンジュンさんのように)いろいろなところに寄付していたと思う。もっとも正しいことをしていれば今のような桁はずれの収益はなかったかもしれないが。N氏にしてもしかりだ。一連の行動が成熟した大人のしかも最高学府を出た者のやることとは思えない。自分がやったことはこそこそ隠れずに真っ向から責任を取りきる人間にしなければならないと思う。今1歳9ヶ月の孫は何にでも興味を示し、物を落としたりひっくり返したりしては物理?の研究をしている。いろいろなものに触れたり動かしてみることで頭脳が発達する。だが、落としたものをそのままにしてはいけないことを教えなければならない。まして間違っても子供が散らかしたものを親が片付けてやっては決してならない。綿棒の容器を逆さにザーツ、爪楊枝をパラパラパラ、これでもかとひっくり返してばらまく。 だが楽しんだあとはおかたづけだ。「ないないしようね」と言って手伝いながらバラバラになった綿棒を元の容器に入れさせる、下に落ちた爪楊枝も元の容器に1本1本入れさせる。小さくとも自分がやったことは最後まで自分で責任を取りきることを教えるためだ。ちゃんとできた暁にはうんと褒めてやる。人格形成の基礎は4歳までで出来上がると言う。この時期の親のポリシーが子供の一生に多大な影響を与えることは言うまでもない。よく「知、情、意」と言われるが、大事な順に「情、意、知」ではないだろうか。知はあるに越した事はないが、なくとも生きていける、だが、人と人との情がなくなっては生きていけない。少なくとも人間らしい生き方は出来ないであろう。情と意を含めた徳育教育がしっかりとなされなければどんなに知を備えていても決して知が正しく開花しない。そして人生が開花しない。


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