アマンダおばさんの
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11月28日(金)

<一点の光を見出して>

 いろいろな意味で激動の11月だったが、気がつくとあっという間に月末に近付いていた。民主党のオバマさんが大統領選に勝利を得たことは混沌としたアメリカ社会に一筋の光を供したが、一方で相変わらずテレビのスイッチを押せば毎日のように目を覆いたくなる犯罪やテロと相まって、金融面での厳しい状況に暗澹たる気持ちになってしまう。
 そんな中、末っ子の三男がイギリス、ロンドンでの本社社内研修から1ヶ月ぶりに戻ってきた。金融危機が取りざたされる昨今だが、三男の銀行は公的資金援助を必要としないようで、財政的に見るとそれだけでもお蔭様なのだろうと感謝せずにはおられない。「出来るだけ困難な環境に身を挺して自分を鍛えたい」と選択した就職先だが、英語を駆使すべき課題も伴って、この世界的危機が彼にとっては困難ではあるが、より自分を高める、いわばやりがいのある仕事環境になっているといえるのかもしれない。
 もちろん仕事があるのは良いほうで、巷に職を失った人々の多数いることも決して忘れている訳ではない。家族を養うその日の糧さえ底をついたという人もいるだろう。人それぞれに苦労や困難の度合いは違う。だが、天はその人に乗り越えられない苦労は与えないものだ。その苦労が必要だから・・・といっては気の毒かもしれないが、その苦労を乗り越えることによって一段と人間的に成長し、強くなるのではないだろうか。「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」と言う言葉が理解できるまでには少々時間を要する場合もあるが、私自身振り返ってみるとなるほどと思うことが多々ある。現在の自分がいるのはあの困難があったお陰なのだと認識できることが確かにあるのだ。 改めて動乱のこの1ヶ月で思ったことがある。コップの水ではないが、もうこれしかないと嘆く生き方が良いのか、まだこれだけあるじゃあないかと喜び楽しんで生きる生き方が良いのか、と言うことだ。例え真っ暗闇であってもその中に一筋の、いや一点の光を見出し希望を持って生きる生き方は出来ないものだろうかと。人間は生きている間にどんなに物やお金を得ようとも、死んで墓場まで持っていくことは不可能だ。であればそれらに執着したり得られないことに拘ることは捨て、身近なところに喜びや幸福を見出し美点を凝視して生きていくことが心豊かに満ち足りた人生を歩む結果になると考えることは出来ないものだろうか。
 ここで思い出すのが、はからずも以前かのクリントン大統領が紹介して有名になった江戸後期の歌人橘曙覧(たちばなあけみ)の歌だ。楽しみは・・・で始まる歌の一つ一つに、富を求めず、清貧に甘んじひたすら風雅の道に喜びを見出す彼の生き方が感じられる。「たのしみは 朝おきいでて昨日まで無りし花の咲ける見る時」・・・は有名。
 その他、「たのしみは すびつのもとにうち倒れゆすり起すも知らで寝し時」(こたつのそばで居眠りをしてしまうと妻がそっと何かを掛けてくれるが気がつかずに居眠りを続けている)

「たのしみは 妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物をくふ時」(妻子頭を並べて食事をするとき)

「たのしみは 空暖かにうち晴れし春秋の日に出でありく時」(春秋の暖かい日に外歩きをするとき)


「たのしみは 常に見なれぬ鳥の来て軒遠からぬ樹に鳴きしとき」(いつもは見慣れない鳥が来て近くの木に止まってさえずる時)

「たのしみは あき米櫃に米いでき今一月はよしといふとき」(空のこめびつに米が入ってあと一月はこれで賄えるなあと思う時)

「たのしみは そぞろ読みゆく書(ふみ)の中に我とひとしき人みし時」(本を漫然と読んでいてその中に自分と同じ思いの人を見出したとき)

「たのしみは 昼寝せしまに庭ぬらしたりふる雨をさめてしる時」(昼寝をしている間に雨が降って庭をぬらしたことを目覚めてから知ったとき)

「たのしみは 湯わかしわかし埋火(うづみび)を中にさし置きて人とかたる時」(囲炉裏や火鉢の炭に灰をかけて火力を落とし人と語りあうとき)

「たのしみは わらは墨するかたはらに筆の運びを思ひをる時」(わが子が墨をすっている傍でお習字の筆の運び方を微笑ましく見ているとき)

 など五十二首が歌集「志濃夫廼舎歌集」に中に収められている。いずれも日常のなにげない出来事や現象にたのしみや喜びを見出している橘曙覧の人生観、幸福感が理解出来る。これらは物質や金銭の豊かさのみでは決して得られない。どちらかというと極貧に近く、その日の食べ物にも窮するほどの生活の中からでも幸福感は得られるという意味でとても考えさせられる。

 お口汚しだが、わたくしも何句か読んでみた。

「たのしみは 晩見しワンコらの元気なるを朝再び垣間見るとき」(前の晩元気のあったワンコ達が朝起きて見ると変わりなく元気にワンワン言ってくれるのはこの上なく嬉しくありがたい)

「たのしみは 目も開かぬ稚子犬うち揃い尾を張り乳吸いたるを見るとき」(まだ目の開いていない子犬達が尻尾をぴんとのばし、並んでいっせいに母犬のおっぱいを飲んでいる様は圧巻である。)

「たのしみは 乳離れし子らの肩寄せ固まるが辛くしてじゃれあうを見るとき」(離乳時期がくると子犬は母犬から離される。親がいなくなった子犬たちは元気がなくなり「うお〜ん、うお〜ん」と泣く子さえいる。しばらくは子犬同士肩寄せ合って傍らに固まっているが、いつの時からか諦めたのだろうか、互いにじゃれあうようになる。そんないじらしい姿に感動する。)

「たのしみは 前に狛(こま)譲りしオーナー様よりはるばるたよりのありしとき」(以前ご縁があって当方からワンコを購入してくださったお客様から便りがあり再びワンコをご用命いただくのはとても光栄なことである)

「たのしみは 中秋に植えし庭花の咲きほこれるを初冬の部屋より眺むる時々」(今はもう寒くなってガーデニングも辛い季節になったが、まだ暖かい中秋のうちに植え込んでおいた花々が咲き増えている様を時折暖かい部屋から眺めることは快い。)

「たのしみは 手作りの夕げを夫と共に「おいしい おいしい」とうち愛でて食すとき」(あまり作りませんので(~_~;)) 

「たのしみは 携帯で遠方に散りし子らの声を耳にするとき」(家にいる時は毎日のように会って話が出来た子供達も、自立後はそれぞれの仕事が忙しく中々携帯が通じない^_^;。)

「たのしみは 1日の業を終え床に就きし夫のぬくもりにそっと抱き入るとき」(夫はアンカ代わり?)

「たのしみは 目覚めとともに狛彼方から走り寄り共に命あるを喜べる朝」 (目が覚めるとどこからともなく愛犬が飛んできて喜び勇みチューなどしてくれる。朝起きて必ずあるとは限らない命だが、今日生きていることをワンコとともに確認できることは有難いことだ。)

 宜しければ皆様も日常の些細な出来事を題材に「たのしみは〜」から始まる歌を詠んでみてはいかがでしょうか。家族で互いにお披露目をするのも一興かと存じます。きっと辺り一面に幸せがごろごろしていることに気付かれることと思います。

 今年92歳で亡くなったターシャ・チューダーさんも「人生って思ったより短いものよ。思う存分楽しめばいいのよ。」という言葉を残してこの世を去っていかれましたが、正にその通り、世の中の暗い面だけを見つめて暮らすより、身近なものに感謝しその中から喜びや楽しみ、生きがいを見出して生活していくことが大切なのではないでしょうか・・・。




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