アマンダおばさんの
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7月31日(金)

マイケルジャクソンの訃報と父性について>

 マイケルジャクソンの突然の訃報から1ヶ月が過ぎた。読者の中にもマイケルのファンはおられると思うが、私もその一人だった。この1ヶ月はまさに「マイケル漬け」といっても過言ではなく、亡くなったその日にネットでCDやDVDを買った。CDは何枚か家にあったのだが探さないと見当たらない、ビデオテープも保存版で録画したのが数本あるのだが探す間に買ったほうが早いと注文したが、すでに注文が殺到していると見え到着するまでには何日かかかった。
 ワンコの世話をするときに聞く7月のCDはマイケルに終始した。不思議にこれをかけ始めるとナーサリーのワンコ達がいっせいに活気付く。ついでナーサリーは誰にも見られないコンサートホールと化す。世話をしながらCDに合わせ踊ったりスウィングする私に、ふと見ると子犬たちがサークルの端に立って私を注視している。この乗りでまるで子犬たちがいっせいに踊りだしバックダンサーを努めてくれるのではないかという妄想さえ沸く。かの「Thriller」のように・・。あるいは「Beat It」や「Bad」のように。そうなったらまさしく「スリラー」だが。
 特別に追っかけをしたり、マニア(マイケリスト)だったというわけではないが、子供たち4人が小学高学年〜中学、高校、大学と多感な時代、よく一緒にビデオを見ては受験勉強の合間の一服を分かち合ったものだった。また、ボランティアの団体に所属していたその頃、新年会では「スリラー」の真似をして何人かでテープにあわせ踊ったものだったが、ぼろぼろの服装に顔から体中絵の具で汚く塗り固めたお化けの形相が好評を博したためか私たちのグループが優勝したものだった。更に私、個人賞までいただいた。
 ワンコの世話の休憩時間にはショートカットのフィルムやコンサートのDVD またテレビの特集をビデオに撮って繰り返し見た。更に1993年のグラミー賞受賞のマイケルのコメントを見、今は大分カームダウンしてきたが、亡くなった当初は何を聞いても何を見ても涙が溢れ、自分自身が欝の状態になってしまった。確かに一連の噂が報道されたある期間は彼の音楽を遠ざけていた時期があった。が、今回の訃報でいろいろな人たちのコメントを聞きまた彼のメッセージを耳にするに及んでその大部分が誤解であったことがわかった。それでも納得できない方々はあるかとは思うが、黒人である故の差別に苦しみながらも世界の子供たちのため、平和な地球を取り戻すため彼の行った資金の投入や行動はやはり並みのものではないと感じている。
 ここで問題にしたかったのはマイケルの回顧録ではない。どうしてこのような不幸な結末で生涯を終えなければおえなければならなかったのだろうかということだ。貧しかった幼少年期、一家の家計を救うため父親から音楽のスパルタ教育を余儀なくされ現在に至っていることは周知のところであるが、才能が開花したその影に父親からトラウマを受けていたことは想像に難くない。ピアニストが父親、もしくは母親からピアノの師事を受けそのためにノイローゼやチック症など精神不安定になったり、不幸な人生の結末を迎えた例は映画やドキュメント番組を見るまでもなく世界中数え切れなくあるのではないだろうか。モーツアルトも一生父親の影に怯えていたと伝えられていてその最後はやはり不幸な幕引きで終わっている。
 人が心から幸せな人生を過ごすために幼児期の両親が影響を与えていることは間違いない。それが善なるものであれば子供は比較的スムースに世の荒波に向かっていける。だが、そうでない場合親から受けた影の部分は80、90歳の年まで、否、亡くなるまで尾を引く。マイケルも幼少期顔、特に鼻の形を父親になじられたというが、そのコンプレックスが延々と整形手術を続けるきっかけになっていると想像する。
 以前、林道義さんの「父性の復権」という著書(中公新書)が話題になったが、この1冊に 父親が備えなければならない重要な事柄がきっちり述べられている。父親の役割は家族を統合し、理念を掲げ、文化を伝え、社会のルールを教えることにある。この役割が失われると子供は判断の基準、行動の原理を身につける機会を逸してしまう。いじめや不登校、利己的な人間、無気力な人間、分裂病は父性の欠落した家庭から産出されると書かれてある。この場合の父親とは決して独善的な権威を持って君臨するのではない健全な権威をそなえた父であることが必要とされるのだ。健全な考えを持った父親中心の家庭から社会のルールや秩序が理解できる人間が育まれる。また父性は母親に癒着する子供を母親から切り離して社会に順調に巣立っていけるよう誘導する役割を果たすのだ。
 このダイアリーを読んでいただいているご家庭があるとしたら、お父様方には是非お子さんと遊んであげていただきたいと思います。コンピューターゲームではなしにご自分が得意とするものをお子さんと共有するつもりで遊びに取り入れていただきたいものです。子供は自分の子供であると同時に次世代を担う大切な人材でもあるからです。確固たる価値基準を持って子供を導いていただければ、それを子供が継承するか否定して反面教師になるかは子供の判断によるにせよ、自我の確立の際に父親の価値基準を元に世の中に羽ばたいて行くことは必至なのであります。マイケルは3人の自分の子供を育てる際に「父親と正反対のことをすればいいのだ」と言い聞かせて養育に当たったと述懐しているがそれでも何も基準がないよりはベターであろう。
 私事になるが、近くに住む長女に2人目が生まれることになり以前にもまして5歳の孫を預かる機会が多くなった。とりわけ主人は4人の子供たちにそうしていたように、この孫にもいろいろな遊びを伝授している。蟻の行方を一緒に見守ったり、切り紙細工や折り紙をしたり、模型を一緒に作ったり、プロレスごっこをしたり、船に乗せたり、リモコンの飛行機を作って飛ばして見せたり、知人に頼んで(休止中の)消防車に乗せてもらったり、その他いろいろな遊びを通し自分なりの説明を加え孫との会話を楽しんでいる昨今だ。遊びの中から人生観や世の中のルールを知らず知らずに伝承している。人生の結果の是非は子供をまっとうに育てただけでは足りず、その孫を立派に育てて初めて成し遂げたと言える。親は子供と孫に渡って責任がある立場だと言えるのではないだろうか。
 マイケル・ジャクソンの不幸な出来事から飛躍した感がないでもないが、この年になると世の中の現象からいろいろと考えることが多くなる。眉をひそめることの多い様々な事件を見聞きするにつれ、土台である家庭の中の親のあり方を今少し振り返って見るのも良いかもしれない。
 マイケルの一言、「子供達から学ぶことはたくさんある。が、それは決して子供っぽさではない。子供は大人にどのように生きるべきかを教えてくれるのだ。」
 私も純粋な子供やワンコ達から日々たくさんのことを学ばせてもらっている。そしてこれからも学ばせてもらいたいと思う・・・。



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