アマンダおばさんの
Random Diary
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9/2(金)

<母>

 父がなくなってから母との距離が急速に近づいた。父は助ける余地がないくらいしっかりしていたため、あるいはそう見えたため放っておいても大丈夫だろうと足が遠のいていた。しかし母は車の運転ができない、そればかりか長い間歩くこともままならない。杖をついてやっと歩いているが現状だ。見ていて何とも頼りない、思わず助けてあげなくてはという気持ちにさせられる。父の生前は、オールデイロングのわんこたちの世話でその上実家の面倒までとてもみれるわけがない、と思っていた。だが、足がない母の、特に食事のため動かざるを得ない状況になった時不可能が可能になった。スーパーでの毎日の食材の調達の他、週何回かの病院通いも、〜時まで母を迎えにいくには〜時までにわんこのこれとこれをしようと予め計画を立てると、母の用事があることが反って作業を早くに仕上げる結果になっている。足かせがあった方がてきぱき仕事をするようになるものなのだ。
 以前は外出をすることが怖かった。ちょっとの留守のつもりで日光浴のわんこをそのままにして帰ってみると集中攻撃にあったヨーキーのかわいい子が瀕死の状態で息も絶え絶えだったり、妊娠中の母犬が早産で子犬を産んで胎膜ごと転がっていたり、他の犬が産んだ子をいじっていたり、、、と悲惨な光景に出くわすことが何度かあった。だがしかし人のため、親のため喜んで働いている時はそういう不運な目には会わないものであるようだ。もちろん外に出している子達は中に入れてから出かけてはいるが、例えば帰って来たらちょうどよくお産が始まって無事子犬を産ませられた、などと事が首尾よく運ぶ。やはり自分のためではなく他人のために体を動かす時は守られ間に合わせてもらえるのだと実感する。わんこのことだけでなく全てにおいて何か「ラッキー」と思うことがあり、スムースに事が運ぶことが多くなった。もっともっと他人のため働かせていただかなくてはと改めて思う。
 買い物の調達だけではなく週何回かは料理を作って持っていく。娘が作った夕飯を「いただきまーす」とお辞儀をして箸をつける母。娘時代は私が母の作った料理に「いただきまーす」をして食べたものだった。母の料理の腕は私のそれとは雲泥の差があるが、にも拘らず文句ひとつ言わずに「おいしい」と言ってくれる母。 娘時代この母には反発ばかりしてきた。母がしてくれる忠告の一つ一つに反抗し一切耳を貸さなかった。今思うとそれは私にとってかなりの損失だった。母から学ぶことがたくさんあったにもかかわらず価値がわからない当時の私は良いものを得ずにそのほとんどが素通りして行った。人様にはあくまで礼を尽くす誠実さ、気付きのすばらしさ、人の喜びを我が喜びにできる懐の広さ、おおらかな金銭感覚、素直さ・・・などなど母の良いところをあげよ、と言われればいくらでも出てくる。今からでも遅くない、少しでも学び(真似び)取りたい。特に「他人の喜びを我が喜び」にできることは特筆すべき長所であろう。通常の感覚を持ったひとならば他人の悲しみを我が悲しみにすることはできる、だが、他人の幸を心から喜べる人は限られる。母の影響からかお陰さまで少なからず私も人を羨むことはあまりない。
 その他色彩感覚は母から来ていると思われる。子供時代パンツすれすれの赤やピンクの明るいスカートが流行った時代に母は自分の子供にはひざが隠れる長さの地味なグレーや紺色のスカートをはかせた。総じてシックな装いが好みの母だった。女学校時代勉強が好きだった母はその上の学校で学びたく、東京にある現在のO女子大学に入学を希望していたが、親の反対で夢は実現に至らなかった。齢82の現在も見えない目を駆使して「源氏物語」や「漢詩」の勉強会にいそいそと出かけている。「勉強好き」・・・は母に全く似なかった私である。
 父の生前食べたいものを制限され、買いたいものも思うようにならず、門限は夕方6時という生活を余儀なくされた母に今何でも好きなことをさせてあげたいと思っている。みょうがやしそ、ねぎののった冷奴を「こういうのが食べたかったのよ〜」と言って喜ぶ母。豆腐が嫌いだった父のため何十年間も豆腐料理が食卓に上ることがなかったのだ。週末は母を伴ってグルメの旅めぐりとなる。  また、たくさんいた鯉を手離し池をつぶして砂利を敷いた。台所をこうして、リビングをこうして、庭の木をこうして・・・と母の夢は広がっていく。
 孫にあたる我々の子供のことを心底心配し心から喜んでくれるのは両親しかいない。兄弟、姉妹にしても独立した家族があれば親ほどまでにはいかない。子供たちが生まれてから今日まで母はその歴史と共に生きてきたと言って過言でない。子や孫の成長を楽しみに生きがいとして生活してきたのだ。子供たちの受験の折には精が出るようにと果物や牛肉を伴に慰労にやって来た。困難だった長男の受験の時には寝込んでしまった母だった。  母には出来る限り長く生きていて欲しい。親は生きていてくれるだけで有難いものだから・・・。



9/18(日)

<秋晴れのある日>

秋晴れの澄み切った今日、この爽やかさにふさわしいカップルが我が家を訪れた。Mダックスのパイボールドをご検討中ということで前日メールを入れてくださった方だ。レッドパイかクリームパイがご希望で、見学をするのにいつが良いか何時が都合良いかと尋ねてこられた。ご丁寧に先方様のご都合の良い日の選択肢を予め何日か記載してある。私は翌日の11時ならOKです、と返信した。そうしたところ翌日まさに11時きっかりにピンポンが鳴った。美男美女のカップルで、それはたいした問題ではないが、とても礼儀正しく、言葉使いも丁寧でこれから結婚するのだが、新婚旅行から帰ってから引き取るのにちょうど良い時期の子犬が欲しいと言われた。該当するわんちゃんをご覧いただき一通り説明が終わると「少し2人で考えさせていただく時間をいただいても宜しいでしょうか?」とおっしゃった。「ええ、どうぞ、どうぞ。ご連絡をお待ちしております。」と笑顔で答え、「わざわざお出向きいただきまして有難うございました」とお礼を言った。誠実さ溢れる感じの良いカップルに、帰られたあとも心地よさが残った。返事のことは忘れていたが、彼女とじっくり相談をしたのだろう、夜遅くにメールが入り購入したいので手続きについて教えてほしいとご連絡をいただいた。若いのに何と礼儀をわきまえているのだろうと感心した。
 当たり前のようだが、年齢に関係なくこうした基本的なことが身についていない人が時折見受けられる。例えば、子犬を見学される方は多いが、何人かは帰った後なんのお返事も返してこない。その方のために時間を割き準備をしてお見せするのだから子犬の要不要くらい連絡をしてほしいものだ。また事前にメールやお電話で来訪の予約をして来られる方はまだ良い方で、突然来られる場合が今までも何回かあった。たぶんペットショップと間違えているか、ショップと同じ感覚なのだろうと想像する。いつ行っても見せてもらえると考えているのだろう。確かにペットショップはそういう類のものである。Door is always open. と・・・。
 だがしかしブリーダーはもともと繁殖者だ。ワンコを売る仕事もあるが、産ませ、育て、世話をすることが1日の大半の作業になる。朝5時半、主人に手伝ってもらいわんこ達を清掃して出る大量のゴミ出しをする。6時、おちびちゃんたちのいるナーサリーの朝回り・・・元気かどうかを見て回る。7時主人との朝食。8時主人の出勤。朝食が取れるときはまだ良い。週1回は朝一番の空輸のため子犬を洗って6時半に出る。先週は月、火、水、金、土と空港に行った。水曜日は2往復だった。それから延々とわんこ達の糞尿さらい、食事、離乳食、弱い子犬のための哺乳、駆虫のための投薬、母犬の運動日光浴、合間をぬってお産の扱い、検診やワクチン接種帝王切開その他のための病院行き、血統書申請、電話の応対、メール書き、夜の見回り・・・と続き寝るのは毎夜1時か2時。父が亡くなってからはこれに母の食事のケアーも加わった。
 先日もやっと一通りわんこの世話が終わり 夕方5時母の所に行こうと支度をしていたら、突然ピンポーンとチャイムが鳴った。「犬を見せてほしい」と言う。「お約束をしておりましたっけ?」と聞くと「いいえ」と言う。お話を伺うと、当方で交配した親犬から生まれた子犬を購入したが、購入先(繁殖者)から見せられた父犬の画像がはっきりわからないので実物を見せてほしいということらしい。 ご来訪は有難いことだが、母のことが気がかりだし、この場合でなくとも世話を中断したため弱い子をもたもたしている内に死なせてしまう事もある。お産の最中かもしれない。
以来、見学は、1日以上前に日にちとお時間のお約束をしていただいている。
 だが人は千差万別である。この仕事に携わって礼儀正しい温かい方たちにも数多く出会わせていただている。つい2,3日前も前からの日時の打ち合わせ通り、「こんなになりました〜、」と生後8ヶ月のティーカップのLちゃんを見せに来てくださったA様。開口一番「宮澤さんにお見せしたくて・・・」 ほ〜んとに可愛らしく性格もいい子に育てて下さいました。素敵に成長したLちゃんを拝見し改めて「また頑張って可愛い子をつくらなくっちゃ」と元気をいただきました。<本物は映像より可愛かったです!> 
 また、新幹線でお譲りする子犬を取りに来られたS様。待ち合せの地下鉄駅まで子犬をお持ちすると満面の笑顔で走ってこられました。「初めまして。宜しくお願いいたします。」と子犬の頭を持ってぺこりとおじぎをさせると、S様も「こちらこそよろしくね〜。」と初めてのご対面です。持ってこられたバスケットの中には可愛いお洋服とおそろいのスカーフが入っておりました。まだぶかぶかではないかと思うのですが・・・何かほほえましくにっこりしてしまいました。亡くなったご愛犬の 写真もお見せいただきどんなにかわんちゃんを大切に慈しんでこられたのかがわかりました。おみやげまでいただき帰宅後もご丁寧に無事着いた旨ご連絡をいただきました。わんちゃんが驚かないように指定席で人の来ないうしろの席を取るのに1本新幹線を遅らせての帰宅だったそうだ。なんとデリカシーのある愛情深い方なのだろう、お譲りした子犬はきっと大切にそして幸せにして下さるに違いない、と心から安堵し嬉しく思った次第でした。
 すばらしい方々にお会いし足りない自分を反省。「人は鏡」他人の姿は我が姿。批判だけでは進歩せず。忙しいとついきつくなってしまうわたくしです。もっとやさしい自分になれますように・・・。
〈映像;久しぶりの里帰りに「他人顔」しているLちゃん〉




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