アマンダおばさんの
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Random Diary♪♪
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8月17日(木)

<ワンコを飼う理由>

 ちりぢりばらばらだった子供たちがお盆で我が家に集まってきた。長男だけは「患者に盆暮れなし」で帰郷できなかったが、それでも夫婦2人の世帯に3人(+孫)が増えるとやおら家の中が活気付いた。最初に家に着いたのは次男だった。大学院卒業後、4月から大手建築会社に勤めて4ヵ月半、土日は完全休みと聞いていたのに土曜は勤務で日曜しか休みを貰えないという。意匠設計部でいずれは本社勤務なのだろうが入社して1年は現場で実習だそうだ。疲労で体がぼろぼろのようだ、家に帰るなりなだれ込むように寝入ってしまった。次いでその夜遅くに神奈川の三男が到着した。院のゼミ合宿が蓼科であり帰宅後その足で戻ってきた。翌日には長女が2歳の孫を連れてやってきた。長女は近くに住んではいるが日ごろ仕事をしているのと私がワンコでスケデュール一杯のため会う機会は限られている。
 久々の再会に話が弾んだ。折りしも、以前プードルをお譲りしたある方からお中元にと美味しそうなチーズケーキをお送りいただいていた。丸いホールケーキが2個(+ロールケーキ1個入り)で、夫婦2人でどうやって食べようかと思案したところだったが皆が集まってくれたお陰で難なくクリアした。レアーチーズケーキと普通のチーズケーキだったが2種類のケーキをいただくと本当に美味しいチーズケーキだった! チーズケーキにはちとうるさい長女が「うーん、おいしい!」とうなずくのだから間違いない。甘いものは苦手の主人までいただいた。<Sさん、ご馳走様でした。>
 
ともあれ振り返るとほんの数年前まではそうだったなーと思い出す。食べ盛りの男の子3人を含めた家族6人の食事の量は半端でない。よくキャンプなどで使う芋煮用の大鍋は我が家の常用鍋だった。カレーはお代わり分も含め大鍋一杯に作った。お米は1回で6合〜7合。よく作ったのはハッシュドビーフ、春巻き、八宝菜、ロールキャベツ、牛丼、酢豚、オムレツ、魚のソテー、ペペロンチーノ、ビーフステーキ、豚キムチ、チャーハン、餃子、キャベツと豚肉のショウガ炒め・・・その他いろいろ・・・。量をたくさん作る習慣がついているせいか、子供たちがいなくなってからしばらくの間多く作る癖が治らず夫婦2人で食べきれずに何日も同じものを食べていた。以前は、スイカは丸ごと買っても切ったそばからあっと言う間になくなっていった。私はいつも子供たちが残したスイカの端っこを食べていた。が今、買ってきたスイカは食べ放題だ。ジュースも、子供たちがいた頃は子供が帰ってきて喉が渇くだろうからと飲まずに冷蔵庫に取って置いたが、今は取っておく必要がなく飲みたいだけ飲める。 万事ほとんど気兼ねせず好きに出来る。だが果たしてこれが幸せと言えるだろうか。人は誰かの役に立ったり、誰かのことを思うときに幸福を実感するのではないだろうか。幸いに主人が居るので少しはましだが、自分一人になったらどんなに自由が与えられたとしても果たして同じような幸福感は感じるだろうかと思う。
 ワンコを飼いたいと思う理由やきっかけはいろいろあるだろうが、自分が必要とされることに生きがいを感じることがひとつの要因になるのではないかと思う。子犬をお求めになるご家庭の中に子供が自立して家を離れていったので寂しくて犬を飼おうと思う、という方々も多い。子供が居るうちはあれこれ面倒を見たり心使ったことが、居なくなることで世話をする必要がなくなった。急に心の中に穴が開いて空虚感が漂いだすのである。また例え子供が居たにせよ10歳、12歳ともなると親からの自立が始まりいわゆる第2反抗期に突入する。我が家でもそれまで「今度の日曜日には〜に行くからね」というと皆素直について来たのがある時点から「私行かない」などと言い始まったことがとてもショックだったことを思い出す。どこに行くのでも一緒だったのが子供から拒否され心の動揺を隠せなかった。しかし今思えばそれは子供が大人への自立に向かい少しずつ足を踏み出したことに他ならない。学生時代、そして長女が小さい頃までワンコはいたが、改めて飼いたいと思ったのは子供たちの反抗(=自立)がきっかけだったかも知れない。
 ワンコは人間の子供と違って思春期特有の反抗期がなくほぼ永続的に愛情を寄せてきてコンパニオンになってくれる。家に帰ってきたとき子供は「ああ、何だ お母さんか」としらけているが、ワンコだけは毎回新鮮な喜びで大歓迎のお出迎えをしてくれる。これはワンコを飼ったことのある人ならば誰でもが経験済みであろう。
 昨今はお子さんを設けないカップルが増えている。あるいは欲しいが難しいというケースもあるだろう。人間、自分が親やたくさんの人たちから愛を与えられお世話をいただいてきた暁には今度は誰かの役に立つお世話や働きをしたいと思うのが自然なのだ。ワンコは子供の代わりにはなれないが、愛を発する対象に十分なりうる生き物であることは確かだ。


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8月25日(金)

<ショコラの思い出>

 親がワンコ好きだと子供はワンコが好きになるようだ。私自身父が犬好きで、居ないということがほとんどなかったため自然に犬好きになった。記憶では幼児期に「チャコ」という名の黒の雑種が居て運悪く交通事故で亡くなってから今度は「マリ」と名付けられたスピッツの雑種を飼った。昔はドッグフードなる高級食はなく、味噌汁のぶっ掛けご飯にその日の人間様のおかずの残りが自動的に食事になるのでありました。どう見ても栄養的に足りているとは思えず痩せていたと記憶している。マリが亡くなった後は、ダイアリーの前のほうでも書いたが、父はマルチーズ、プードル、ヨークシャーテリア・・・と飼った。かくしてワンコ好きは私から子供たちへと引き継いだ。
 長男の愛犬はダックスBTの花子だが、次男はチョコタンの「ショコラ」を自分専用犬として可愛がった。次男が学校に行っている間は私が面倒を見たが、帰宅すると次男にべったりで、勉強をしている時は次男のベッドの上や机の下で寝そべって、それが終わると気分転換に近くの公園に散歩のお供をした。部屋から何か聞こえるなと思うと次男がショコラと話しながらよくじゃれていた。
 大学時代休みの日には彼女も連れ立って一緒に海に行ったりキャンプにも行った。ショコラはメスで出産を何回か経験したが、ヨークシャーのエミリーと同じでお産をすると性格ががらっと変わってしまう。生まれるまではフン、フンと甘えるが、1頭目が出たとたん目つきがおかしくなるのだ。生まれた子犬に触ろうとでもするとがぶりっとやられる。ダックスの歯の大きさはヨーキーの比ではない。とてもお産扱いなどできない。だが始末の悪いことにショコラは産み落とした子犬を目の前に、威嚇するだけで面倒をみないことが多かった。かくして口輪をしての大仰なお産になるのでありました。
 頭はよいと見えて知恵が働いた。ある日ショコラが居間に居るときだった。その時電話が鳴ったが、私は固定電話で受け取った。初めての方からのワンコのお問い合わせだった。質問にお答えしていると・・・、なーんと、あろうことかショコラがテーブルの上にぴょーんとまるっきり体ごと上がったのだ。テーブルにちょっと手をかけただけの可愛い程度ではない。丸ごとだ。テーブルの上にはその日の家族の夕食が並べられていてもう食べるのみになっていた。 これが固定電話ではなく移動式の子電話だったら迷わず飛んで行ってテーブルからショコラを引きずり下ろすところだった。だが、その時私はお客様と和やかに談話中だったのだ! その途中では間違っても「こらー!」などとは言えない。 私はお客様の話しもそこそこにショコラが見せたふてぶてしい態度に目を丸くして怒っていた。声を出さずに鬼のような顔で叱っていた。だが、食卓の饗宴に夢中だったショコラは私の怒りに気がつかないのか、気にしないのか、はたまた空腹でそれ所ではないのか延々とひたすら食べ続けたのでありました。まるで私が固定電話ではすぐに動けないことをしっかと認識しているかのようだった。  そこで思い余った私はそばにあったスリッパをショコラめがけて投げたのだ。 ところがどっこい、ショコラには全く当たらず、あーらら、スリッパはその日のご馳走の上にしっかと乗っかって落ちたのでありました。しかもスリッパの歩く面を下にして・・・。その後も気にせず人間様の食事を食べていたショコラの結末は? ご想像にお任せします・・・。
 そんなこんなで次男と一緒に過ごした数年間だったが、次男も研究室にこもって時には徹夜で仕上げなければならない作品作りが続くようになると、近いほうが良いからと大学の近くに居を構えるようになり、と同時にショコラの世話ができなくなった。  そして結局は他のワンコたちと一緒の集団生活になったのだ。ショコラはワン友と遊べる半面、人間を一人占めすることが出来なくなった。しばらくは次男の姿を求めて「うおーん、うおーん」と泣いていたがしまいには諦めたようだ。最初から集団を経験しているワンコと違い、途中からというのはかなり可哀想だったかもしれない・・・。
 4歳半になるとお産もスムースにはいかなくなったが1年後これを機に私は思い切ってショコラを里子に出すことにした。次男には「世話が出来ないのだから仕方ないね」と言って半ば了解を得た。しかし里子に出すのでも新しいファミリーがどういうご家庭かちゃんと見極めてお譲りしようと思った。どういう方がオーナーさんになるかによってワンコの運命が変わるからだ。だが幸いに、新聞を見て来てくださった方はやさしそうなお母さんで、何より犬好きな小学高学年の男の子が嬉しそうに、そして大事そうにショコラを抱っこしてくれ、「ぼくんちの裏はひろーい河川敷きで毎日散歩に連れて行けるから大丈夫です。」と賢こそうに言ってくれた。直感でこのファミリーで良し、とそう思った。お母さんが気を使ってくれ「別れがさびしいでしょう。はい、握手して。」と抱っこしたショコラに言って下さった。私はそれを聞くと急にうるうるになり別れのあいさつをしようとショコラを見た。が、何を思ったか、たぶんお散歩に連れて行ってくれると思ったのだろう、連れて行ってくれるのなら相手は誰でも良かったのか、ショコラはそのまま小学生のおにいちゃんに抱っこされ、首を外に向けながらその家族の一員になりきった表情で玄関を後にしたのだった。自分でも意外だった。そしてちょっとさびしかった。が、反面それでいいのだ、とも思った。何日かして家に帰った次男に「もうショコラはいないよ。良い方にさしあげたから」と報告すると次男は急に元気をなくし肩を落とした。見るとうっすらと目に涙を浮かべていた・・・。
 ブリーダーは1頭飼いのファミリーと違ってその子だけを可愛がるということは出来ないのが現状だ。どんなに愛情をかけたとしても一般のオーナーさんに1日独り占めで可愛がってもらえるのにはかなわない。しかしワンコを生ませるのはブリーダーなしでは難しい。ワンコたちには出来る限りのことをしてあげようと思う。実際老犬は白内障があったり癌になったりと疾患が多発する。先日も尿路結石で手術をした。がそれとは別に、生ますことはあっても、ある時期からは出来れば一般のファミリーで家庭犬として愛され可愛がってもらって一生を終わらせたいとそう願っている。


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