アマンダおばさんの
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4月30日(金)

ロスからの手紙>

犬は安産の代名詞のように言われた時代もあったが、こと純粋犬に関しては当てはまらない。特に救急動物病院がなかった頃は間に合わず、妊娠した母犬が胎児もろとも亡くなった例が何度かあった。お産も決して全部が全部上手くいくものではなく、胎児の位置が悪く帝王切開で出したものの、弱った子犬が全員亡くなることさえ珍しくはない。初産のお母さん犬は何故お腹が痛くなるのか分からないのだろう、不安感からか長い陣痛の後生んだわが子を鼻で蹴散らす親もいる。帝王切開のベッキー(小ぶりプードル)もその類だった。お乳につけると逃げまくる、子犬のおしっこを鼻先につけてもそっぽを向く・・。そこで、産んだその日から哺乳指導が始まった。おっぱいが出ている風でもないがとりあえず押さえ込んで乳首につけ、あとは2時間おきのミルクで補うことにした。それと同時に下のお世話が開始された。おしっこはティッシュで刺激するとすぐ出てくるが、ウンチは時に難しい。生まれて1日経過後も便が出てこない。お腹が膨れて苦しそう。代われるものなら私が代わってあげたいくらいだ。心配で寝られない。が、丸1日半経ったあるときふとサークルの中に黒い細長のウンチ発見! ほっと胸を撫で下ろす。ベッキーもいやいやながらおっぱいの指導に合わせて飲ませていたが、1週間経った今日このごろ、やっと母性本能に目覚めたようだ、自ら子犬に吸わせる姿を見せてくれるようになり、ずっと変わらなかった体重もここ1日2日で30gほど増えた。濃いレッドのこの子には日々希望を与えてもらっている。大きくなるまで無事に育ちますように・・・(祈)。
 先日のことだった。郵便受けの書簡類に見慣れない手紙が混じっていた。住所を見ると、アメリカのロサンゼルスからのもの。誰だろう、従姉妹がボルティモアに住んではいるがロスに知り合いはいないし・・・。開封してみると、カード一杯に書かれた手紙の文章と共にたくさんの写真が目に飛び込んできた。読むと、写真は9年前に私のところで生まれたヨークシャテリアのものだった。お便りを下さったきっかけは、0さんと仰るロス在住の日本人の方が、愛犬Fちゃんの狂犬病予防注射をする際に生年月日など詳細を知るために血統書を確認したところ、当方の名を知るに至りグーグルで検索してお便りをくださった、とのことだった。
 内容を要約すると・・・9年ほど前、日本にいた0さんが研究者をめざすか普通の奥さんとして結婚するか壁にぶつかっていた頃、ふと立ち寄ったペットショップにいたのがFちゃんだった。生後半年を過ぎ、やせ細っていたこのショップのヨーキーが当時の0さんの状況と重なり、「1週間後に来てまだ売れ残っていたら私が買おう。この子が生きている間は私も生きてみよう」と、その時思ったそうだ。1週間後「大特価」と書かれた「売れ残り」のFちゃんと新たな生活をスタートさせた0さんだった。楽しさ、寂しさをいつも共有してきたが、3年前、博士号取得をきっかけにFちゃんとともに研究者としてアメリカに移った。異国で泣いてばかりのOさんの傍にはいつもFちゃんが寄り添ってくれた。・・・ お手紙はこのような内容だった。
 お写真に写ったご愛犬は以前の弱弱しい面影はなく、ふっくらとして健康そう、どこにでも付いていく元気な子に見えた。お顔も、「こんな可愛い子がどうして?」と思うほど詰まったマズル、ピンと立ったお耳で愛らしい。アメリカ人のご主人とFちゃんとの生活はとても幸せそうだ。ご夫妻でアメリカの各地を訪れた景色をバックに撮映した画像は、Oさんが明るく希望にあふれた第二の人生を着実に歩み出されたことを如実に物語っていた。
最後に、「せい子さん、
Fを産んで下さりありがとうございました」と結んであった。

 わたくしはこの手紙を読ませていただき感動ですぐに返事をさしあげることができなかった。いろいろなことを暗示させ、考えさせられた。生年月日を調べてみると、父犬は昨年老衰で亡くなっている。母犬も里親様に委ねているので詳しくは分からないが11歳になる。父犬の晩年は白内障で目が見えず老犬特有の染みもところどころに出ていたが、若かりし頃は本当にはつらつとして可愛い子だった。一生懸命交配に挑んでくれた健気な様子が今でも目に浮かぶ。母犬は何頭か可愛い子犬を産んでくれた親孝行者だった。もうこの世にいない父親の血を受け継いだその娘が、遠くアメリカの地で元気に生活していることを知り、嬉しさとともにえもいわれぬ不思議な気持ちにさせられた。記憶は走馬灯のように走りめぐる。インターネットでHPを立ち上げたばかりのその頃は、一般に今ほどパソコンのネットが普及しておらず、あまり子犬のご用命がなかったため請われるままにペットショップにお譲りした。  それにしても、生後6ヶ月まで売れ残っていたとは・・・。無論今私のところではショップにはお出ししていないので6ヶ月どころか1年近く、それ以上いる子もいる。だが、犬舎では、自由に遊べる空間と時間が用意されている。ところが、ショップではきっとガラスのケースに入ってひたすら飼ってくれるご主人様を待つ生活だったのだ。  自分のところで生まれた子犬がケースの中で痩せ細って・・・と想像すると何か可愛そうで涙が出てしまった。当方にいる子は食べたいだけ食べて皆むっちりしているのに・・・。
 この手紙を通し、ワンコがどこでどのように人の一生に関わるかわからないものだということを改めて思い知った。きっと0さんは人生の岐路に立ち、悩んでおられたのだろう。長い人生の中には人それぞれにもがき苦しむ辛い時期がある。時にはいっそ自らの命を断ってしまおうかと思うほどの事態にも遭遇する。だが、Fちゃんといういたいけな子犬を迎え、ご自分がちゃんと生きていかなければ子犬の命もなくなるのだと悟ったとき、この方はきっと生きることに新たな勇気と希望を持つことができるようになったのではないだろうか。
 私自身も学生時代生き続けることに限界を感じていた。ボニー(マルチーズ)の出現がどれだけ私自身を本来の自分に戻してくれたか計り知れない。一緒に寝、どこにでも連れて行き、勉強机の足元にはいつもボニーが寝そべっていた。根本的な解決にはならなかったかも知れないが、少なくともその後主人と出会うまでの命を引き伸ばしてくれたのはボニーだった。
 人は大自然の懐で動物と一緒に生活することで心の平安が保てるという。自然が破壊され動物が人間社会から追い払われた現代の社会では、人間だけの関わりの中で誰しもが心的疲弊を感じている昨今ではないだろうか。
 ワンコは疲れた人の心を癒し、時に生きる元気をも与えてくれるものなのだ。おこがましいながら、わんこを通して仕合せをご提供する一端を担わせていただいていることに改めて感謝させていただくものである。


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