アマンダおばさんの
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3月31日(木)

<千年に一度の大震災>

この度の震災では数多くの犠牲者が出た。また今尚見つかっていない方たち、かろうじて難を逃れ生存できても津波により住む家を失くし働く職場を流されてしまった方たち、長い間不便な避難所生活を余儀なくされる多くの方たちがいる。福島では地震、津波の他原発の危険にまでさらされている,そのほかにも大勢の方々が語りつくせない壮絶な悲劇を経験した・・・一体こんな悪夢があるのだろうか! 11日は極寒で雪も舞い散った。が、翌日は快晴だった。まるで大自然が人間どもをあざ笑っているかのように。
 海岸通りほどの被害はなかったが、我が家も震度5強の地震に見舞われた。3月11日、この日はスタッフが休みで犬舎の成犬の世話は主人が代行した。午後246分、主人も私もワンコたちの世話が一段落し昼食を終えたところだった。ヨーキーの極小チビちゃんと居間で遊んでいたその時、とてつもない横揺れが私たちを襲った。とっさにチビちゃんを抱え主人と居間の頑丈なテーブルの下にもぐりこんだ。いつもとは違う桁はずれの揺れ、下から眺めるとシャンデリアが振り子時計のように大きい孤を描いて左右に揺れていた。5分以上も続いただろうか、その間リビングボードの開き戸からは食器類が飛び出し「パシャン、パシャン」とひっきりなしに音を立てて壊れていた。「いつまで続くんだろう・・・わたしの子供達・・・殺さないで! 死なないで!」天に最後の命請いをするように泣きながら叫び続けた。「子供達」とはワンコのことである。人間の実の子ではない。彼らは大人だ、何とかするだろう。だが、犬舎やナーサリーにいるワンコ達はどうなってしまうのだろう。長く感じた地震が一休止し収まるやいなや電気がバシッと消えた。おもむろにテーブルから抜け出た主人、まだ何とか見える光で早速大人犬のいる犬舎とナーサリーに様子を見に行ってくれた。私は怖くて見にいけない。どんな風になっているか想像するだけで恐怖だった。少しして主人が2階から戻ってきた。「大丈夫、犬舎、ナーサリーとも問題なかったよ。皆生きている!」「えー、本当に?」信じられない気持ちで2階に上がって行くと、階段から、玄関ホールにあったアンティークの柱時計がバタンと倒れ文字版を覆っているガラスが粉々に砕けているのが目に止まった。二階の廊下は灯油缶が倒れ油が流れ出ていた。子犬や授乳中の親子がいるナーサリーに入ると、それぞれのサークルの隅で固まって震えているワンコ達の姿が飛び込んできた。「大丈夫だからねー、いい子いい子、みんな無事でよかったね~。」私の顔を見て安心したのか子犬達は徐々に表情を和らげていった。余震が続く中、辺りの状況を観察すると・・・空気清浄機や加湿器他、北側の棚の上にあったものが落下してはいたが、子犬達のいるサークルまでは少し距離があったためその付近の落下物に当たった子はいなかった。が、ふと見ると南側の1つのサークルに空のケージが落ちて突っ込んでいる光景が目に止まった。「え?ここにいたソニアは・・・どこにいったの?」生後11ヶ月のソニアがいない。真っ青になった。必死で探すと、何とサークルとガラス戸のほんの少しの隙間に挟まっていた。きっとケージが落ちてくる瞬間自力でサークルを駆け上がり隙間に降りたのだろう。決して大きいヨーキーではなく普段サークルを飛び越えたこともないのに・・・必死だったんだね。偉かった! 幸いソニアは怪我をしている様子もなく無事だった。大人ワンコのいる犬舎は、午前中自由運動をし、ちょうど全員がそれぞれのケージに入って休んでいるところだった。もしこれが1時間早い時間だったならどうなっていただろう。自由運動の最中棚からの大きい落下物にぶつかって怪我をしたワンコがいたかもしれない。だが、この時運動のスペースには誰もいなかった!ケージも日頃から2重にフックをして鍵をかけているので揺れで扉が開くことがなく済んだ。
 丸3日間は電気が通らなかった。暖房がないため寒さ対策が懸念の材料だった。だが犬舎はもともと2重構造になっていて、いわば初めにあった箱の中に20cmの余白を持たせて更に内側に箱を作った形だ。防音のためであったが防寒にもなっている。エアコンなしでもワンコ達の体温で十分寒さが凌げた。問題はナーサリーの子達。全員リビングに移し、昔ながらの石油ストーブ1個で暖を取った。ホカロン、お湯入りのペットボトル、フリースはあるだけ使い、なるべく小さいキャリーに頭数を入れ互いの体温で温めようと試みた。その間懐中電灯の明かりひとつで新しい命も生まれた。ないない尽くしの中4頭のお母さん犬が次々お産をした。かかりつけの動物病院が被災地の悲惨な地域にあって帝王切開などとても無理な中、親孝行なことに皆自然に生んでくれたのは不幸中の幸いであった。
 99%起こると言われていた当地方の地震であったが、一番の心配は水であった。もし水がなかったなら数十頭いるワンコ達の命を保持することができない・・・、実際近くのエリアでは給水場所に長打の列ができるほど水を求めて連日人が並んだ。それも水をもらえるのは人間の家族分だけだろう。とてもワンコ達の分までくださいとは言えない。が、水の出る出ないが生死を分けたと言って過言ではないだろう、ちょっとだけ神様が微笑んでくれたのか、水は地震の後も切れることはなかった。3週間経った現在もいまだに給水所に通っている地域もある中、我が家は浄水場が近いせいか断水がなかったのである。ドッグフードはまとめて大量に購入したばかりでたくさんあった。人間用の食べ物のほうが心配だったがいざとなったらドッグフードを食べればいいね、などと主人と笑って話していたら東京にいる子供達から流通が可能になった2週間後、運送会社の支店止めで食材がたくさん届いた。
 5日してインターネットが復旧すると、ワンコ達の世話で手の空かない私に主人が傍らでメールの文を読み聞かせてくれた。当方からワンコをお譲りさせていただいた方々、またブリーダー友として長年懇意にしていただいていたお一人お一人のメールの内容を読むに連れ、主人の言葉が途中で途切れてしまった。見ると主人の目からは涙が溢れ出ていた。思わず私もどっと泣いた。「何て有難いんだろうね、人の心は・・・」主人と語り合った。
 災害から9日経ったある日、昨年末釜石にお譲りしたヨークシャテリア君のオーナーさんからメールが届いた。「家は流されました。でもたまたま弟が家にいたお陰で大事な家族(ヨーキー君)を連れて逃げてくれました。ですので、れんは無事です、安心してください。」という内容だった。良かった!弟さんが家におられて、助かったんだ。他に宮城・岩手の海岸近くに当方から譲渡したワンコ達はどうなったのだろうか。それまでも地図を片手に毎日のように電話をしていたが通じるところはどこもない。オーナー様は? ワンコは? 石巻や東松島市に何頭か行っている。10日目にやっと1件電話で連絡が取れた。「~は大丈夫、無事です。」とのお言葉。聞くところによるとオーナーのTさんは、自宅が高台にあって難を逃れたため避難所や迷子になったワンコを30頭ほど自宅で預かってお世話しているとのことだった。一般のご家庭に30頭ものワンコ・・・Tさんの素晴らしい行いに心動かされた。被災者である私ではあるが自分にもできることはさせていただかねば。早速30頭のわんちゃんのためにドッグフードを送らせていただいた。いつも取引をしているフード会社の担当者にも呼びかけた。するとサンプルのフードがたくさんあるので送ります!と早速無料で送ってくれた。Tさんはその後心配な当方出身のわんこを、住所を片手に自転車で探してくださった。すると、家が流されてもとの住所にその家がないことが多いんですよねー、とのこと。 石巻の海岸から20mほどのアパート1Fで「日中はお留守番犬になると思います。」と言われてお譲りしたワンコは、たぶん流されただろう・・・。こちらに居たときの面影が心を苦しめる・・。が、明るいご報告もあった。ほんの1ヶ月余り前里子として御譲りしたBとDは、1階が浸水したが2階は大丈夫で、お母さんと一緒に2階で元気に暮らしているようです、ワンコの鳴き声も聞こえました、とのこと。見つかるまでの間「どうして譲ってしまったんだろう、うちに居れば助かったのに」とこちらにいた時のお顔を思い出しては自責の念で一杯になっていた。助かった嬉しさでこのワンコ達にもドッグフードを送った。まだ連絡がつかないオーナーさんは何人かいるが希望を持って待ち続けよう。
 長男夫婦は盛岡市の総合病院で医師として働かせていただいていたが、地震当日長男は朝から夕方までの大きい手術の最中だったそうだ。地震の際電気が切れ自家発電に切り替わったものの、大揺れで患者さんが手術台からずり落ちそうになり、またたびたびの余震で手元が狂って困ったと言う。その後何日かしてプロジェクトで災害地に赴いたが、かつて出張で1ヶ月居た陸前高田市は町全体が見る影もなく、当日赴任していた研修医からは病院の4階まで水が押し寄せ、泳いで屋上に這い上がったと聞かされた。3階までの患者さんは亡くなったようだ。長男、嫁ともこの4月から当地東北大の大学院に博士号取得のため戻ってくる予定でいた。が、嫁(内科医)は5月の新学期までの1ヶ月は岩手の宮古で被災者のため診療をし、長男は大学の指示で宮城県や岩手県の被災地に派遣されるだろうとのこと。岩手は妹家族がいることもあって、従兄弟同士の交流も兼ねあちこちの海岸に海水浴やキャンプに行ったり、冬には毎年のように安比や雫石にスキーにも行った。山登りが好きな長男が研修先を岩手に選んだのは、子供時代の馴染みと、もともと自然が好きだったことも理由の一つだった。その長男(及び嫁)が医師として6年間お世話になった岩手の方々のため最後のご奉公として少しなりともお役に立たせていただけることに改めて深い意味を感じさせていただくものだ。
 病床にあった母は市内の病院で守っていただき、またマンションの9階でライフラインが全く亡くなった長女家族も今子供2人と母がいた実家で仮住まいをしている。
 お気に入りのコーヒーカップや陶器などなくなってしまったものに惜別の念はあるが、人ワンコとも大難が小難で済んだことは幸運としか言いようがない。
 災害は、人間が大自然の前に謙虚であるべきだということを教えている。「自然にやさしい」など奢った言い方はしたくない。人は大自然の掌の中で人様のお役に立たせていただくため生かされているのだ。この度の災害をきっかけに改めて自分自身を見つめ直してみたい。

 末筆ながらこのたびの災害で全国の皆様及びアメリカを始め香港、シンガポールよりご心配や御見舞いのメールを頂戴いたしましたこと、スタッフ一同心より御礼を申しあげるものです。当方のスタッフ及びワンコ達はこれまでどおりの生活に戻りました。 新たな希望の歩を進めると共に、当方より一層の厳しい現実に直面している方々には1日も早い復興を願ってやみません。


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