アマンダおばさんの
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Random Diary♪♪
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9月30日(金)

<第二の人生>

9月のダイアリーのはずがとうとう10/4にまで延びてしまった。10月に書く9月のダイアリー、これ如何に? キャンペーンの準備、ヨーキーのお産、極小子犬の哺乳指導、ワンコ達の世話、ご来客の応対、メールの送信・・・と、こなしていくと夜にはもうバタンキュー、力尽き果ててしまった。寄る年波には勝てません^_^;。が、この年になってもやることがあるのは幸せで、何とも有り難いことです。
 薔薇・「ノックアウト」が先日の台風で鉢ごと倒れてしまった。前日から苗木の補強をしたり鉢を移動したりと準備万端整えておいたはずなのに、台風一過の翌朝この子だけが悲惨な姿で発見された。急いで土を戻し給水したがうんともすんとも言わない。
 枝を切り詰め再生しやすいようにしてあげたが、それでも無言のまま。薔薇に夢中になってから増やした数、もはや40本位になるのではないだろうか、ただの1本も枯死させた薔薇はいないのに・・・。初めてのショックだった。動物ではないにしてもやはり毎日対面していると生き物に対する愛情が湧いてくる。揃えたばかりでまだほんのわずかしか花は見られないが、それでも植物の日々成長する躍動感がこちらにも伝わり、自分までが生き返るような気分にさせてくれる。それなのに・・・胸が痛んだ。毎朝確認しても何の変化もないノックアウトに、あきらめの気持ちで陽の当らない北壁の隅に寄せてしまった。ここ数日は水やりさえもしていなかった。だが、だがだ!・・・今朝見るとなんと!切り詰めた小枝の脇から芽が出ておまけに葉っぱさえ付いているではないか! 違う薔薇を見ているのではないかと目を疑った。だがラベルを見てもやはりその子だった。思わず、「復活したんだ~!」「よく頑張ったね~!」興奮して声をかけずにはいられなかった。まさしく私の心は「ノックアウト」! ノックアウト自体それほどお気に入りの薔薇というわけではなかったが、「強健で春から晩秋まで絶え間なく咲き続けます」という歌い文句にどんなだろう、と手に入れてみたのだった。それにしても偉かった!嵐の後死んだようにだんまりを決めこんでから早3週間、決してあきらめずにサヴァイヴァルした健気な薔薇の姿から、きっと大自然が何かを教えているのだとインスパイアーされた。
 このところ、主人と共に老後の処し方について話す事が多くなった。老齢者向けの本を何冊か読んで参考にもした。60歳を機に生き直しや点検をしなければ。体力の衰退、世の中の動き、ワンコ達のこと、生き甲斐・・・これらの言葉が毎日のように脳裏を駆け巡る。犬舎の縮小、あるいはクローズ、ワンコ達の幸せ、生き甲斐の行方、犬舎で懸命に働いてくれているスタッフの生活の事、限りある時間の夫婦間の一層の充実、趣味の事、旅行の事。考えれば考えるほど一筋縄ではいかずに頭が痛くなった。
 30代、否50歳までは自分が老いることなど想像することはできなかった。だが現実はそう甘くない。何も事故や病気がないとして自由に体を動かせるのはあと10年もよいところだろう。今度の12月で61歳とするとあと9年なのだ。しかも年老いてからの1年はなんと速いこと! つい先だって子供たちや孫から還暦の祝いをしてもらったばかりだと思っていたのに・・。還暦・・という言葉さえ(ずうずうしくも)自分とは無縁な事だと思っていた。物の本によると、ほとんどの著者が老後は引き算の作業をしなければならないとうたっている。いわゆる終い支度をする年齢なのだと。中には自分が一番大切に思っているものから捨てなさいと言っている人もいる。もちろんゴミに近いものは破棄する必要があると思うが、私の場合例えば一緒に生活していて自分の一部になっているアンティークの家具達をごっそり捨てなさい、と言われてもそんなことは到底できない。食器だってそうだ。昔子供たちが居た頃に使ったお皿などは思い出を捨てるようで到底できない。趣味で集めたマイセン、ジノリ、エンズレイ、そして何より大好きなビルロイ・ボッシュのフルーツバスケットシリーズのプレイト、コーヒーカップ・ティーカップ&ソーサー、その他・・。このシリーズは今は廃番になって入手が難しいこともあって私にとっては一番のお宝になっている。余談ながら、このフルーツバスケットのディッシュプレートには10年ほど前イギリスのマンチェスターを訪れた際のマナーハウスで、ディナーの折にお目にかかった思い出がある。2週間ほどの旅の最後の滞在だったが、急速に我が家に連れ戻されたような懐かしさでいっぱいになった。出されたお料理はマナーハウス(貴族の館)にも関わらずとても美味しいとは言い難かったが^_^; 
 また、オークションで競ってゲットしたスージークーパーのビンテージ食器の数々。この度の震災で壊れ、泣く泣く捨てたものもあるが、かろうじて生き残ったスージークーパーを手放すなど到底できない相談だ。大好きな彼らが居なくなったあとの空虚なスペースを想像するだけで鬱になってしまう。
 子供たちが残してくれた絵や作文、夏休みの作品、テスト用紙、成績表など我が家は4人なので相当の量になるがこれまた捨てることはできない。ワンコ達だってそうだ。30年間多数のワンコ達と暮らしてきたのに、全くいなくなったらどんなだろう。殺伐としたものに変わっていくことは目に見えている。彼らが居てくれるから生き生きと希望を持って生活できるのだ。またワンコがいるからこそ私のような者でも社会の人々と交流させていただけるのだ。

 引き算もある程度はやむをえないが、私は60過ぎの第二の人生こそこれまでしたくともできなかった事を思いっきりやって良い、まさにその時ではないかと思う。たとえば小さい時好きだった模型作りを本格的に極める。団体旅行ではなしに自分で企画する一人旅あるいは夫婦の2人旅。健康志向の外歩きや山歩き、登山(ただし、遭難に注意)。焼き物や絵画ピアノ他アートに熱中する。ガーデニングにのめり込む。ボランティア活動に身を捧げる。そうすると残された限りある人生を好奇心旺盛に楽しく過ごすためにはある程度お金もかかるのだ。物も増えてくる。足し算の作業になる。だが、国民が保有する金融資産の6割は60歳以上の高齢者が持っているという。消費、散財することも国の景気のためにお役に立つことではないだろうか。「子に美田を残すことなかれ」と昔から言われるように、主人や私は、4人の子供に教育と魂を残すだけで十分、それ以上の財産は残す必要がないと考えている。へたに財産があると折角仲の良い兄弟もそのために仲違いをしないとも限らない。親としては子供たちの仲が悪い位悲しいことはない。よく親の生存中は仲が良かったのに、亡くなったとたん険悪になったという例は周りでも良く聞く。とにかく自分で稼いだお金は自分で好きに使って良いのだ。残財はワンコのために使ってもらおうと思っている。
 そして、折角与えられた第二の人生こそ愛ある生活にしたいものだ。荒んだ気持ちで過ごすなんてもったいない。人間愛はもちろんのこと、植物愛、そして動物愛で満たされた生活ができれば最高! 老後はワンコを勧めないという人もいるが、老後こそワンコを飼って心豊かな愛ある生活をしてほしい。人間とワンコでどっちが先に逝ってしまうかわからないから、とご心配な方には5,6歳くらいの中年犬をお勧めする。当方では、無料の里子から安価でお譲りできる里子犬が随時在舎中だ。ご相談いただければ、100%は無理でもその方にふさわしいワンコをご紹介できる。是非お問い合わせいただきたい。この老齢化社会である、そのうち飼い主さんが亡くなった後委託金で残されたワンコの面倒を見てくれる施設ができることは想像に難くない。  






 いずれにしても、与えられた人生、最後まであきらめずに生き生きと、愛ある生活を楽しんで全うしたいと思うものでございます。


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