アマンダおばさんの
♪♪
Random Diary♪♪
ランダム   ダイアリー



2013年6月
4月へ 次の月
10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

 



目次に戻る


6月16日(日)

<誕生会>

 ちょうど1週間前の先週の土曜日、我が家で主人の誕生祝を主に、長男、そして翌月生まれの次男の誕生祝をまとめて行った。長女家族、長男家族、そしてこの元旦に女の子が生まれた次男家族も埼玉から加わった。三男はフィアンセと共に共通の友達の結婚式でハワイに行って参加が出来なかったが、それでも孫まで入れると11人でたいそうな賑わいになった。皆それぞれに多忙で思うように会えないので、年に2回、お正月と6月の第2週には都合をつけて全員集合ね、とむりくり約束させた結果である。お正月はわかるがなぜ6月かというと、我が家の庭の薔薇がちょうど良い加減の咲き時、Just on timeだからだ。窓越しの薔薇を眺めながらワインで酔い痴れようという魂胆だ。
 お料理は仙台で一番の某寿司店のケータリングが多かったが、今回はスペイン料理の「ラ・サルテン」に決めた。取りに行かなければならない不便さはあるが、いつかダイアリーで紹介したように、味は絶品でしかも比較的リーズナブルな価格でオーナーさんも親切にアレンジしてくれるところが捨てがたい。パエリャ、ブイヤベースを基本にタコのガリシア風、鮮魚の酢漬け、特製海の幸たっぷりのサラダ、仔羊もも肉とセミドライトトマトのアヒージョ、イベリコ豚のシンプルスペアリブ、カナダ産ムール貝の白ワイン蒸し、牛ヒレ肉のプロバンス風オリーブデュクセル・・・等のタパスを注文。一口ほうばるやいなや、皆異口同音に「美味しい!」の連発。お店に行ってもいいのだが孫が小さく、お店では飽きて他の方に迷惑がかかるのは目に見えている。家ならハイハイ組もヨチヨチ組も自由自在だ。子供を叱らずに済み、大人同士で食事を頂きながらおしゃべりに花を咲かせるのがはなはだgoodなのでした。
 父が存命の時から我が家は集まることが好きだったが、こうして誕生日などの家族の行事を大切にすることは家族の絆を深め、互いの愛を改めて感じる良い習慣ではないかと思う。会の初めに父が教訓を垂れたように主人に続き私も一言述べた。「本当の親孝行とは親に物やお金をあげることではなく、(それもよいことではありますが(*^_^*))、親の心に沿って生きることだと思います。親の心とは何かというと、皆に仕合わせになってもらいたいという事です。」
 親にとって子供や孫が仕合わせに生活する姿を見ることほど幸福なことはない。嫁さんが皆良い人で、和気あいあいと我が家に溶け込んでくれているのが一層嬉しく感じさせる誕生会でした。

































































6月12日(水)


<マイブーム 懐メロ>

人は老いると若かりし頃の自分をなぞりたくなるのであろうか。小学校の頃向かいの社宅に住んでいたおばさんで、母と親しくしていた方が20年ほど前に東京から我が家を訪れてくださったことがある。私の成長した姿を一目見たいためだったのだろう。久しぶりの再会で親交を深めたが、聞くところによると他にも転々と社宅生活をしてお知り合いになった家族を訪ねて旅行しておられた様子だった。
 その時は「そういうものなんだ・・・」という程度であったが、同じ年齢に達している今、心痛いほどにその気持ちが分かる。
 私の場合昔懐かしい場所に尋ねて行くというわけではないが、若かりし頃流行った音楽をCDで聞いては思い出に浸っている。
 この所テレビのコマーシャルでミシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」をやっているが、大変懐かしく思い余ってCDを買ってしまった。レコードは持ってはいるのだが、プレイヤーを改めて購入しなければならないので、それならいっそお手軽にアマゾンでCDを買った方が手っ取り速いと、早速に購入し毎日BGMで流して聞いている。今から30数年前から40数年前にタイムスリップしている感じだ。ポルナレフは仙台でコンサートがあった時主人と見に行ったほど熱烈なファンだったが、コンサート自体は奇想天外でちょっとイメージダウンだった。が、その曲たるや今聞いても何ら遜色はなく、素晴らしい!彼はピアニストであった父親の影響からか幼いころから音楽の才能があったようで、パリ音楽院のソルフェージュ・コンクールで一位を獲得した位の才能ある若者だった。どの曲が一番という事のないほどどの曲も素晴らしいが、強いてあげれば「COMME JULIETTE ET ROMEOロミオとジュリエット」「CA NARRIVE QUAUX AUTRES 哀しみの終わるとき」「LOVE ME,PLEASE LOVE ME 愛の願い」「QUI A TUE GRANDMAMAN 愛のコレクション「CA NARRIVE QUAUX AUTRES哀しみの終わるとき」等リピートして聞いている。お蔭でワンコ達は耳にタコができるほど朝となく夜となくポルナレフの曲を聞かされている(涙)。
 他にグランドファンクレイロード、サンタナ「ブラックマジック ウーメン」、ショッキングブルー「ヴィーナス」、ママス&パパス「カリフォルニア ドリーミング」等など・・・18歳~20歳ごろの青春真っ只中だった・・・。ちなみに「カリフォルニア ドリーミング」は主人と学生時代にダンパ(ダンスパーティーの略)で知り合った時、一緒に踊った曲であります❤。










6月10日(月)


<遺品整理>

5月は実家で亡き母の遺品整理に時間を費やし、バタバタと過ぎて行った。こんな時専業主婦だったならてきぱきと処理できるんだろうなと思うとうらやましい限りだが、がんじがらめになっているワンコを見捨てるわけにはいかず、結局ワンコ達の世話の合間にやるのでいつまでたっても終わりません(涙)。下駄箱もすっかり方付けてきれいになったが、段ボールの箱に生前母が履いていたかかとの低い革靴やブーツなど懐かしい靴を入れて捨てることは何か心痛く辛いものがある。靴のみならずうまく歩けない足の支えとなった杖やカツラ、普段着、着物など 誰か使ってくれればいいのだけれど結局は捨てるしかないようだ。衣類が不足している国に送りたいのだが、クリーニングしていないとダメ等規制があるとつい面倒になる。着物も生前母が好きで和箪笥4つほどにぎっしり入っているが、今は着物の需要がないとのことで廃棄しなければならないようだ。
 旅行好きだった父のお供で世界各国を訪れた時の写真がたくさん見つかり処理に困ったが、父とのツーショットだけ残してあとは捨てた。
いずれにしても遺品整理は、故人の生前を思い出して悲しくなるだけはでなく、思い出の品々をあっさりと捨てなければならないという二重の辛さで心が痛む・・・。

 皆さんのお宅では遺品整理、どうされておりますか?



*不許転載*
Copyright(C) 2001 S.Miyazawa
ページのトップに戻る
目次に戻る