アマンダおばさんの
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9月30日(水)

<ブリーダーの宿命>

お譲りさせていただいた山形のまりんちゃんがお里帰りしてくれた。新たにアプリコットのお友達犬を迎えたいと一緒に来てくれたのだった。
   

シルバー・ティーカップのまりんちゃんはキュートな表情でおばあちゃんの膝に鎮座していた。撮影させてもらおうとリビングに連れて行っても人見知りしない。主人にもすんなりと抱っこされている。
まりんママがお仕事の間お母様にお世話していただいているそうだ。素直で落ち着いた性格はお母様のお人柄の影響なのだろうと容易に想像できた。母犬も大人しい子である。素質と環境のコラボの結果だろう、とても理想的なプードルのように思えた。  
   

幸せに過ごすワンコがいる中で、事故で亡くなる子もいる。
ブリーダーは喜びと悲しみの両方を背負って進んで行く宿命にある・・・。
   


9月18日(金)

<ドミニク>

 シルバー・プードルのドミニクが2度目のお産をした。目だたない性格で、自己主張せずどちらかというと存在感のないプードルだった。が、前回もそうだったように今回の子達もとてもキュートな子達を産んでくれた。ドミニクはお産自体が親孝行である。タイニーサイズでも胎児の位置や大きさによっては帝王切開になる子もいる。が、ちゃんと普通分娩で生んでくれ、しかも産んだ子のほとんどがティーカップサイズである。
 そのドミニク、出産後からウンチやおしっこを舐めたりおっぱいを飲ませたりと、こまやかに子犬達の世話をしていた。室内運動場に出してもすぐナーサリーに帰りたがる。子犬がいるからだ。やがて離乳の時期になった。おっぱいをあげている割にはやせ気味のドミニクが心配で缶詰やモツ缶をあげるのだが、見ても食べようとしない。「どうして食べないの? 君にあげたくて置いたんだよ」と、声掛けするが、一向に食べない。通常犬舎ではフードのみで、特別食べない子犬やお産後のお母さん以外はそのほかの食べ物は与えない。信頼のおけるドッグフードなので余計な物の補充はバランスを壊すからだ。なので、いわば缶詰やモツ缶はご馳走なのである。お正月のお年玉の様なものだ。飛びついて当たり前、なのにドミニクはちらっと横目で見ているだけだった。そうこうするうちに子犬がモツのビットを見つけた。フードを食べ始めた子犬達は狂喜するように食器に走り寄りモツのビットを食べ始めた。「あれ? 食べられちゃうよ」。声掛けにも関わらず、ドミニクは子犬の食べるのを傍らでじっと見ているだけ。きっと子犬達に食べさせてあげたかったのだろう。食べ終わった子犬達が自分のところへ戻ってくると、今度は頭を横にして子犬のウンチを食べて始末するドミニクなのだった。
 ワンコを飼っていると今や人間世界では味わえない感動の場面を見させてもらう事がある。ワンコ達が同じベッドで寄せ合うように寝ている姿にも「和」の美しさを感じる。
 人の間では得られにくくなった自然への回帰がワンコによってなされることを改めて感じさせられる。ワンコの世界は言い争って醜い戦いをしている人間のそれとは全くの別世界なのである・・・。
その後別の場所でドミニク専用のモツ缶をあげたことは言うまでもない。
 ところで、シルバーの子犬の内1頭は早々と心優しいオーナー様の所に嫁いで行った。当方からはレッドのティーカッププードル2頭に引き続き、3頭目のリピーター様だ。「アマンダさんのコメントはその通りだと前のワンコ達を見ていてわかるので、今回も何も心配なくお迎えすることに致しました」と、アップした次の日に東京より駆けつけてくださった。生き物なので100%完璧とはいかないが、当方を信じてご用命下さる方のおられることが私の励みとなっている。
優しい母親に育まれ、良きオーナー様のもとに嫁いだシルバーの女の子は、きっと輝きに満ちあふれた一生を歩んでいく事だろう。
もう1頭は様子を見ながら当方で育てていくつもりである。





9月12日(土)

<飼い主の資格>

 先日以前お世話になったことのあるトリミングサロンからお電話があった。お客様から「ヨークシャテリアはいないか」とのお問い合わせがあったそうだ。それなら「アマンダさん」と思って電話したとのこと。
「あいにく今は生まれていないんですよ~」と丁重にお詫びした。すると、サロンの熟年の店長さんは、「アマンダさんのワンちゃんはお顔の可愛らしさはもちろんですが、性格が本当に良いんですよね~」と、言ってくださった。
思わず「有難うございます」とお礼を言ったが、過去にそのトリミングサロンを利用した機会はそう多くはない。当方はここ何年も毎月2か所のトリミングスクールにワンコ達を出しているからだ。「どうしてうちのワンコの事をご存じなのだろうか」と不思議に思った。すると、「家の娘がトリミングスクールで講師をしているので、アマンダさんのワンちゃんの事を良く知っているんですよ」とのことだった。
そうだったのか、だからうちのワン達の事を良くご存じなのだ、と嬉しく思った。その時トリミングスクールの生徒さんの前で素直にお手入れをさせてもらっている犬舎のワンコ達の様子を想像し、思わず微笑んでしまった。
 お顔の可愛らしさはあるに越したことは無いが、一生付き合っていくのはその性格である。四六時中一緒に居れば顔などは忘れてしまうものだ。この子はひょうきんで面白い、とか、この子は猫のような性格、この子はだれにでも懐いて愛嬌良し、この子は穏やかで落ち着いている、この子はシャイだが叱られてもめげないド根性ワンコ・・・、等と、飼い主さんはその人柄というか犬柄と対面して日々生活しているものだ。
どんな姿格好であれ「うちの子が一番!」と思ってお世話していただいているご家庭のワンちゃんは皆幸せなはずである。
 ところである時、ワンコの世話が一段落し居間で寛いでいると電話が鳴った。泣き声で話されるその方は、最近ワンちゃんを亡くしたばかりだと言う。当方への子犬のお問い合わせだったようだが、いつの間にか亡きワンちゃんの思い出話になった。とても可愛いお顔のワンちゃんで、12歳で亡くなったという。公園に散歩に連れて行くと皆から「可愛いですね」とよく声をかけられ、自慢の愛娘であったようだ。「12歳と言えば寿命に近い年齢ですから、天命を全うされたと言っても良いのではないですか。あまり悲しんでいると成仏しないと言われますから、お辛いでしょうが、心切り替えて前向きに過ごされた方がよろしいですよ。その方がワンちゃんへの弔いになるのではないでしょうか」と話させていただきました。すると、どうも悲しいのはご愛犬が亡くなった事だけではなさそうだ。「いつも仲間だと思っていたワン友が、「人の不幸は蜜の味」じゃあないですが、きっと生前うちの子が可愛いのを妬んでいたんでしょうね、亡くなったら、思っても見なかったことを口にするんですよ」と仰るのだった。
その時、私は、ワン友にはそうした影の世界があることを初めて知った。私などは犬舎の運営のみでワン友との交流というものをしてきたことがなかったので(最近譲渡犬を囲んでのお茶のみ会はあったが)、驚いてしまった。いつも親しく交流している人のワンちゃんが亡くなったとしたら、同じ気持ちになって不幸を分かち合うのが人間というものだろう。ワンちゃんが亡くなったと聞けばついもらい泣きをしてしまうのが人情だ。それなのに、どのように言ったかその方は仰らなかったが、ワン友だと思っていた人のつれない言葉がワンちゃんの死去に追い打ちをかけるように悲しさを増幅させたと言う。
ワンコの幸不幸はどのような人格のオーナーさんに育てられるかで決まってくる。「私はワンコをこよなく愛しています。夫より子供より可愛いんです。」と仰る方がおられるが、私はちょっと首をかしげたくなる。夫が好きでなく夫婦不和の家庭で果たしてその中で飼われるワンコは幸せであろうか、子供から疎んじられ、トラブルの絶えない飼い主さんの傍で果たしてワンコは幸せと言えるであろうか。そう考えるとき、オーナーさんが人としても家庭人としても、また社会の中でも優れた人柄であることがイコールワンちゃんの真の仕合せにつながっていくのだと思う。
 愛犬の幸せのためには「うちの子が一番!」と思って世話すると同時に、ワンコに恥じない飼い主になる努力が必要かと、私自身の反省も含めてそう思った次第。
 「人の苦しみは我苦しみに」「人の喜びは我喜びに」できる人間になりたいものである。










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