アマンダおばさんの
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2月4日(日)

<マルチーズ>
 何気なしにテレビを見ると世界遺産のマルタ島バレッタの様子を放映していた。マルタ島と聞いて胸がキューンとなった。何も以前訪ねたことがあるというのではないし、ましてそこに何年間か住んでいたと言うのでもない。
 時は高校時代の若かりし頃にタイムスリップする。
 41年前の大昔、高校1年の私は「愛犬ジャーナル」などの犬の月刊誌を読みあさってはマルチーズ(正確な発音はモーティーズ)に夢中になっていた。室内犬の純血種というのが珍しい時代で、真っ白い綿菓子のようなふわふわのマルチーズはうら若き乙女?にとって夢のような存在だった。なんとかしてこの妖精のような小犬を手に入れたいと資料を取り寄せた。今と違ってペット業界の数も多くなく情報量も今とは比べ物にならないほど少なかったが、それでも上京の折に名だたるペットショップに見に行った。
 マルタ島原産ということでマルタ島にも急速に興味を持った。地図で調べるとイタリア南端の孤島だった。マルチーズはアメリカではすでにチャンピオンも完成しており「ヴィラマルタ」という犬舎が多数AMCHのタイトル犬を作出していた。が、高校生のお小遣い程度では直子を買える訳もなく、一念発起して市内のショップに(ずうずうしくも)自ら見習い丁稚奉公をかってでたのだった。
 今思うと決して清潔なショップとは言いがたいその一角のゲージにマルチーズの子犬はいた。ウンチやおしっこの新聞を取り替えるアルバイトとして2週間ばかり通い続けたが、日を重ねた暁にこの子、と購入したい子犬が決ってきた。写真で見るヴィラマルタの垢抜けた小振りのCH犬とはかなり程遠い、もそっとした子犬だったが何故かビビビッときてその子から目が離せなくなっていた。アルバイト料はスズメの涙ほどで、あと何日働いたら買えるだろうかと気が遠くなる思いで思案していたら、父が私の熱心な?働きぶりに心動かされてか足りない分の料金を出してあげると言ってくれたのだった。というより料金のほとんどを父のお財布から調達してもらった。思いがけず早い時期にマルチーズの子犬が買えることになった私は、ふわふわの真っ白い天使を宝石のように大切に大切に胸に抱き、その日を限りに汚い?ペットショップにおさらばしたのだった。
 ボニーと名付けられた白の天使は見る見るうちに大きくなり4kgほどの巨漢になった。だが当時、当地ではそれでさえ希少価値であった。行く先々で「あらま〜、かわいいごど〜!(注;かわいいこと!)」と囲まれた。確かに性格はたいそう人懐っこく陽気で賢かった。私が勉強をしていると机の足元でアンカ代わりを務めてくれたし、寝る時も一緒でやはり足元を暖めてくれた。海や山、お店やレストランなど今と違ってペットはどこにでも同伴できた。もちろん家族旅行でも旅館で一緒の布団に寝たものだった。ワンコがいても誰一人文句を言わない大らかな時代だった。
 ボニーが2、3歳になったころ交配をし、繁殖を試みた。初めてのワンコのお産に本を読んで研究し、糸、はさみ、タオルガーゼ、体温計、メモ帳など準備万端でお産当日を迎えた。夜から生み始めて夜中までにすでに5頭生まれた。臍切や蘇生にくたびれてすっかり寝込んでしまった私だったが、ピーピー言う声に早朝目が覚めると、何とボニーは5頭の上更に3頭、計8頭を生んでおっぱいをあげていたのだった! お腹のどこにこんなにたくさんの子犬が入っていたのだろうか。 マルチーズは小型犬のはずなのにどうして? 今思うとまるでゴールデンやラブ並みだった。しかし賢母ボニーは1頭も落とさずふうふう、はあはあ言いながらも8頭の子犬を完育したのだった。8頭分のファミリー探しは大変だったが、8頭が8頭共仕合せ行きの切符を手にして我が家をあとにした。16歳の私はこのことをきっかけにブリーダーになることを決心したのだった。
 その後ボニーは大学入学後の結婚まで私のお供をし、引き続き父の「下請け犬」になって16年の天寿を全うした。

 いつか機会があったならマルタ島の旅に出かけたいと思っている。


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2月18日(日

<ブリーダーのAさん>

 先日用事があり、ブリーダーAさんにお電話をした。Aさんとは十数年来のお付き合いになる。友人というよりはワンコ及び人生の大先輩といった方が適切だ。久しぶりの電話に互いの再会?を喜んだ。再会、といっても離れた距離なので今まで1度もお会いしたことはない。ブリーダー間にはよくあること。ワンコが足かせとなってそうそう気軽に泊りがけの訪問など出来ないのが現状だ。
 話すのは1年ぶりになるだろうか。相変わらずお忙しそうでお元気そうな様子、いつもと変わらない春風のような暖かさで私を迎え入れてくださった。Aさんとは子犬の譲受、交配、他ワンコ全般に渡って今まで随分と相談に乗っていただいた。中でもワンコにかける深い愛情はユーモア溢れる会話の中からもひしひしと伝わってくる。
 ご縁があったきっかけは、ある犬種のブリーダーを探していた時Aさんを推薦してくださった方がいたことだ。その方も長年ブリーダーをしておられたが、彼女は「良いブリーダーを選ぶには人間性を取ることだ」と教えてくださった。人間的に立派な人は結果的に良い犬を作っているものだと説明してくださったのだ。ご紹介いただきお付き合いさせていただくと、Aさんは大らかな暖かさがあるだけでなく賢く謙虚で、そして決して人を悪く見ないということがわかってきた。Aさんはいわゆる「犬崩れ」がない人なのだ。犬を扱う人は、最初は純粋に犬が好きで始めるのだがだんだん「犬の世界」に埋没すると身を崩して荒れてしまうことが多い。だがAさんはその類と一線を画していた。昔はどこにでも居た気のいい近所のおばちゃん風情を呈していた。
 もちろんAさんのことで悪い噂を聞いたことがない、といえば嘘になる。背景はいろいろあるだろう。「出る杭は打たれる」、この世界足を引っ張ろうとする輩は周りに五万といる。Aさんがあることで悩み苦しんでいたことは陰ながら知っていた。だが私は噂を気にしなかった。変わりなくAさんを信じていた。Aさんとは根本的なところで波長が合うからだ。
 良いブリーダーの定義はいろいろあるかと思うが他のブリーダー(及び犬関係者)の悪口を言わない、ということもそのひとつではないだろうか?    もちろん十何年交際させていただいてAさんの口から他人の悪口を聞いたことは唯の一度もない。
 「清濁合わせて飲む」Aさんを私は人生の師匠に据えている。

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