アマンダおばさんの
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3月11日(日)

<あるコンサート>

先日スティーヴィー・ワンダーのコンサートに行ってきた。昨年チケットを売り出していた時に行きたいけどどうしようか、と迷っていると主人が「いいんじゃない。行こうよ」とプッシュしてくれた。きっと鬱になっている私を少しでも元気付けたいというやさしい主人の計らいだと感じた。
 彼のステージは今回で2度目だった。最初に行ったのは20数年前で4番目の末っ子がまだ赤ちゃんのころだった。赤ん坊を初めとして3歳、5歳、8歳の4人の子供たちを主人にお願いして出かけたものだった。その時の会場は我が家から歩いて5分の仙台市体育館だった。サンダル履きの普段着で行けそうな近場でありいつもの散歩コースではあったが、目一杯のおしゃれをして(ここからは内緒だが・・)当時勤めていた音楽好きの上司と一緒にコンサートデートをした。(もちろんそれっきりだが)
 月日の経つのは何と早いものだろうか。あれから20数年。光陰矢の如し。30代、40代前半までは年を取る事など考えても見なかった。まして人は、いつかは死ぬものだ<Man is mortal.>と言うことが実感として湧かなかった。しかし同じ年齢の知人がつい最近病で亡くなったり、塾を主宰していた時には何人かの塾生のお母さんが癌で亡くなった。当時1月ごろ塾の三者面談で高校受験に向けお話していた元気の良いお母さんが、3月のお子さんの卒業式には亡くなってもういなかった。他にも、生まれながらに障害児で知能が遅れていた子だったが、少しでも学習させたいと熱心にわたくしの所にお子さんを通わせて来られたが、ワンコの散歩の折、体育館脇の公園でお会いしたのが最後、やはり癌で亡くなった。あの障害の子は今どうしているのだろうか?母親が亡くなった時は小学2年生くらいだった。お母さんは残したお子さんのことを考えるときっと死んでも死に切れなかったのではないだろうか。そう思うと胸が痛む。悠々自適にお店を開いていた塾生のお父さんも、彼が第一志望のトップ高校に入るや否や癌で亡くなってしまった。つくづく人はいずれ死ぬものなのだと、そう思う。
 話はコンサートのことに戻るが、主人と2人分のチケットを購入したのは良いのだけれど開始時間をよく見ていなかった。4時開場の5時開演かと思っていた。今回の会場は普通道路だと1時間もかかる郊外の大きな施設だ。高速で行くことにした。ワンコの世話や何やで4時になってしまったが、ちょうど良いくらいに間に合うだろうとルンルン気分で車に乗ったのはいいが、念のためとチケットを見ると、な、なーんと開演は4時となっているではあーりませんか! 4時開演ということはもう始まっているということ?「キャー、そんなことあっていいわけ〜? ありえなーい。(ありえたのだ)」「くそー、結構高いチケットだったのにー」「自家用飛行機があったらな〜(あるわけなーい)」パニクッている私を尻目にさすが我がだんな様。いつも冷静です。こんなとき程いっそう冷静です。決して「なーんでちゃんと時間を見ておかなかったんだ!アホ!」などと私を怒ったりは致しません。事が起こると人を責めず前向きにそれではどうしたらよいかとすぐ考えるご主人様である。おもむろに携帯を手にした主人。コンサート会場に電話をしたらしい。すると、ラッキーなことに開演が20分遅れて今始まったばかりだとのこと。このまま高速で超特急走行すれば20分で着くという。さすれば2時間の公演中20分のロスで済む。 ヤッター! これぞとばかりに走った走った(車がだ)!! 速いのと高いのは大の苦手なわたくしめ、だいたい自分では高速道路も運転できない。高速パニック症候群というのがあるのかないのか、とにかくジェットコースター初め速いのが苦手だ。普段は主人が運転するのもちょっとスピードを超えると怖いから遅くしてと言っている。だがしかしこの度は目をつぶって我慢した、我慢した。コンサート会場に着くともう外からもあの懐かしいスティービーの声が聞こえてきた。オリジナルの曲と新曲を織り交ぜているが会場のほとんどが総立ちで手拍子やらスウィングをしている。
 私たち夫婦もそれほど数多くコンサートに行ったほうではないかも知れないが古いところではミシェルポルナーレフ、ハイファイセット、マンハッタントランスファー、ジプシーキング、サンタナ、ケイコ・リー、山下達郎、ユーミンその他、そして特に良かったのはスティングのコンサートだった。当日青森に行く予定があったが青森から滑り込みセーフで仙台の会場に入った記憶がある。まん前のかぶりつきの席で踊りまくったのを覚えている。今ではぎっくり腰になりそうで出来ないが・・。
 スティービーワンダーのコンサートでは彼が座って歌い演奏をしていると、つい目が見えないことを忘れている。だが、ボーカルの男性に引き連れられて移動する際に盲目であったことを改めて思い知る。これで2回目のコンサートだが、いつも思うことは目の見えない彼が、目が見えるかの如くにその想像力で美や愛の世界を紡いでくれることだ。目の見える我々凡人よりいっそうセンシティヴだといえる。彼の姿からハンディーのあることを嘆いたり同情を買ったりする挙動は考えられない。与えられた境遇のあるがままをこれでよしとし、その中から天賦の才能に感謝する前向きな姿勢や魂に感動するのは私一人だけではないだろう。彼の子供が生まれたときに作った歌の中には「彼女は可愛いかい?」という歌詞があるが、自分の子でありながらその顔を見ることも出来ない余りにも残酷な運命、彼の負うた重い課題を思うと、自分の境遇がいかに恵まれているものだということが改めて認識される
目が見える我々が一体何に不満を持つことがあるだろうかとも思う。

 時にはもうこの世からおさらばしたい、と思うこともしばしば。だが、人には人それぞれの決められた一生分の幸せの量が決っている。子供で苦労しない人はお姑さんで苦労していたり、外では何も問題がないのに夫婦や子供がしっくりいっていなかったり、子供が引きこもりだったり、人間関係がうまくいかなかったり、会社が倒産したり・・と、人それぞれに「人の一生は重荷を負ふて遠き道をゆくがごとし・・・」という徳川家康の遺訓(定かでないと言う説もあるが)通り何かひとつは重荷を背負って生きていくものだ。自分と心通じる人の輪そして環境の中で精一杯の「感謝」の心を持ち、与えられたものの中から幸せを享受し精一杯生きさせてもらうのが人の道と言えるのではないだろうか。図らずも早くに一生を閉じなければならなかった人たちの分も・・・。
 スティービーの歌や演奏からはいつもそんなメッセージが伝わってくる・・・。

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