アマンダおばさんの
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9月3日(月)

<家族の絆>


 猛暑だった夏も一段落。ナーサリーはクーラーに引き続き即ヒーターが必要なほど朝晩肌寒いここ数日間だ。
 お盆には家族5人で「ちょこっとハワイ」に行ってきた。毎年行くリピーターも多い中、ハワイは3回だけだが、「たかがハワイ、されどハワイ」でやはり行くたびにやっぱりよかったな〜との思いを強くする。日本列島が36度等というとき現地は30度で風がさわやかで乾燥しているのでまさしく避暑になった。長男夫婦、次男は仕事で行けず、この分でいくと三男も来年は就職で行けないだろうと判断し今年のうちに長女、孫、三男とわれら夫婦、可能な者だけで行ってきた。2度目のハワイは子供たちがまだ就学時で全員集合の号令のもと6人で簡単に行けたのが、一人二人と自立するに従い集まるのが容易でなくなるこの現状に寂しさが募る。ともあれこの度はハワイオアフで最もホットなエリアのワイキキビーチウォークにあるエンバシー・スイーツ・ワイキキ・ビーチ・ウォークホテルに滞在した。全室ベッドルームとリビングのスイーツになっており広々として開放的で良かった。朝はモーニングブッフェがついていて、一人ひとり好みの具材でもってその場でオムレツを作ってくれる(おいしかった〜)。階下には有名な「ロイズ」初め「ヤードハウス」など一押しレストランが軒を連ねていて便利だった。今回離島へのツアーはせずにオアフ内で3歳の孫に合わせてスケデュールを組んだ。日ごろスーパーと動物病院、空港位しか行かない日常に気分転換できたことが良かった。また主人とともに久しぶりに4人の内の2人の子供たちと一緒に過ごせたことが最大の喜びだった。
 以前は旅行もさることながら家族の行事をよくしたものだ。1月;お正月で集まり、2月;なし、 3月;母と三男の誕生日、高校や大学入学祝い、就職祝い 4月;亡き父と娘婿の誕生日、5月;孫の誕生日、こどもの日のお祝い 母の日 6月;主人と長男の誕生日、父の日 7月;次男の誕生日 8月;お盆で集まり 9月;敬老の日のお祝い 10月;長女の誕生日 11月;結婚記念日のお祝い 12月;私の誕生日、クリスマス 大晦日の年越し・・・気が付くと行事のないのは2月のみ、あとは毎月のようにお祝いがあることになる。その都度会食をするわけで、お陰でいくらダイエットをしてもいつまでたっても痩せられないのです(ガーン)。
 だが今振り返ると行事を大切にしてきたことがイコール家族の絆を深めることに繋がったような気がする。家族一人ひとりをかけがえのない一員と思い、またそう思わせることが自分への信頼につながり生きる元気や社会に向かう活力を生み出してきたのではないだろうか。お祝いの行事があるたび亡き父は一家の長として訓示を述べるのであるが、必ずと言って良いほど孫たちに「親に心配かけずに親孝行すること」と大真面目な顔で言うのだった。心の中で「別に心配をかけている子はいないのに・・」と思うとおかしくてくすっと笑った。子供たちが大きくなると父の訓示についで、対象になる家族に対して一人ひとり順番にお祝いの気持ちを話させた。人前で発表する訓練になるのと兄弟(親)に対して日ごろどんな思いでいるかがメッセージにより知ることが出来た。夫婦2人になった今でも誕生日や父の日、母の日、クリスマスにはあちこち散在している子供たちから次々とお祝いのメールや品が届く。
 亡き父は私たちが特に海外に旅行する時は必ずと言って良いほど、留守宅用に置いていくスケデュール表を眺めては一緒に旅行した気分になっていた。「今は昼飯の時間だな」とか「そろそろ〜に着く頃だ」とか「ここから船に乗るんだな」と言う風に。父は大概の所には行っているので自分たちの旅行と思い出を重ねているのだろう。そんな父を「物好きな〜」とせせら笑っていたが、実際我等の長男夫婦が遅い夏休みをとり1週間の旅行に行くと聞けば早速ネットで場所と日程を調べている同じく子離れのできない私たちである。きっと子供たちも親になった折には同じことを繰り返すのであろう。家族の絆の連鎖はこうして子供の次世代に受け継がれていく。
 子供たちがいない家庭はさびしいのだが、一方買い物から帰ると尻尾を振って玄関まで出迎えてくれる2ワンコの存在は何かほっとした家族の暖かさを思い出させてくれる。まるで買い物から帰った私に子供たちが「何買ってきたのー?」と玄関に集まってきたその昔を再現するかのように・・・。



9月18日(火)

<昨今の風景>

わが庭の「秘密のジャングル」には今スモーキーピンクのサルビアが花壇一杯に咲き溢れている。サルビアというと昔は夏花の代表、一律赤と決まっていたが今は紫など変り色が市場に出回っている。春に植えた当初は頼りなく虫が食って今にも立ち枯れしそうだったが、ふと木酢液があったのを思い出し、葉や根元に希釈液をかけてあげると不思議なくらいに再生しみるみる元気になった。今ではまるでおひたしにでもできる位にこんもりと生い茂っている(サルビアのおひたしなど聞いたことはないが)。情熱の赤も良いのだが暑い夏窓越しに目に入るスモーキーピンク&ペールイエローの色はほっとした清涼感で心を癒してくれる。他には大好きなランタナのサーモンピンク、ルリマツリの薄紫が彩りを添えているが、4月〜11月末まで長期に渡って咲いてくれる花にはご苦労さんの感謝の意も含めてことさらに愛おしい気持ちにさせられる。ダイニングの改装とともに今まで放ったらかしだった南東の雑木林スポットも何とかしようと思案中だ。だが、今の時期よほどの重装備をして出ないと蚊の集中攻撃に遭ってしまう。もう少し涼しくなってからに致します。
 先日東京よりアメリカ人のA様が同時通訳のBさんと共に我が犬舎を訪れてくださった。以前プードルをお譲りしたアメリカ人のCさんのご紹介だと聞いている。お産前後のワンコがリビングにいるためと外からの感染症防御のためA様にはご来訪のどなたにもそうしていただいているように玄関先で子犬をご覧いただいた。手狭なところで申し訳なかったが何頭かご覧いただきその中からティーカッププードルとヨークシャテリアの2頭をご予約いただいた。ご訪問いただいたときから2時間近くも外で待たせておいたタクシーに乗り込み一路東京へと戻っていかれた。後日通訳の方からお聞きしたところによるとA様はかの六本木ヒルズのビルに居を構える某有名外資系企業最高責任者の奥様のようである。Bさんはそこの秘書ということだ。子犬の譲渡にはまだ日数を要したので後日2頭まとめて空輸で送らせていただこうと思っていると、わざわざ1頭ずつ各譲渡時期に合わせて新幹線でお迎えに来られるとのこと。かくして様は3週間に渡り、東京―仙台間を3往復されたのだった! 経済的余裕がないとできないことではあるが、ワンコに対する愛情の掛け方、思い入れが日本人とはちょっと違うなという印象を受けた。譲渡した2ワンコもセレブ犬になるのであろうか、後日送られてくるだろうフォトグラフが楽しみだ。Anyway ワンコを通しいろいろな方とお近づきになり学ばせていただくことが感謝に思う。

  

「撮影が苦手なハイジ;精一杯のピース顔」

話は変るが、一色単に見えるワンコにもそれぞれの性格がある。中には変った性格の子もいる。プードルブラウンのブラウニーもその一人(1頭)だ。今までも何回かお産をしてくれたが今回も無事妊娠した。まだ予定日まで3日あるから安産のためできるだけ運動をさせようとエアコンの完備した室内運動場で他の妊娠犬と一緒に自由にさせていた。朝一番「おっはよー」と犬舎に入ると何だか様子がおかしい。とっさに何か殺気立つものを感じた。血の臭いが鼻をかすめる。よもや誰かが殺戮されているのではないだろうか、と緊迫感が全身を駆け抜けた。ふと隅の暗いところを見ると何か黒いものがうごめいている。ヨーキーの小柄な親犬でも殺されたのだろうか?ここ数年は全くないが、以前は何頭か目を離した隙に集団リンチで亡くなったことがある。「えーつ」と悲惨な思いで目をやると・・・何とそこにはプードルの赤ちゃんが1、2、3、4・・・5頭も生まれていたのだった。お母さんのブラウニーは子犬が生まれる度ごとに他のワンコからわが子を守ろうと必死だったに違いない。生みっぱなしの親犬もいる中5頭の子犬全員の袋は破かれて辺りに見当たらず、きっと全部食べて後始末したのだろう、臍の緒も綺麗に噛み切ってあった。ドアーを開けた時も他のワンコを威嚇して蹴散らしていた。5頭を生むのに短時間で済むはずはない、いくら夏場といっても保温の状態は大丈夫だったのだろうか。赤ちゃんを掌に包むとやはり体が少し冷えていた。危ないところだった。お母さん犬のブラウニーは子犬を守るのと子犬を暖めるのとで必死だったに違いない。早速親子をリビングに連れて行きヒーターを敷いた蓋つきサークルのまわりをブルーシートで囲った。温まると直おっぱいを吸い始めた。
 事件(?)から数日経ったある日、お産が難産だったヨーキーの産後のケアーをしてもらいに母犬を動物病院に連れて行った。もちろんヨーキーの赤ちゃんは置いたままだった。かれこれ3時間も経っただろうか早くおっぱいを子犬に吸わせなければと急いで家に戻ってみると・・・何と、ヨーキーのサークルにプードルのブラウニーがいるではあーりませんか!! しかもヨーキーの子犬を口にくわえてうろうろしている・・・。「何でここにいるの!!?」「どうやってサークルに入ったの!!?」「ここで何してるの!!?」 矢継ぎ早の質問にブラウニーは笑顔で?答えた。「実はですね(標準語)。ヨーキーのおっかさん(東京下町風)が出かけた後 がきんちょ(=子犬、全国共通くだけた言い方)が母恋しくてぶち泣くんですいね(広島弁)。そなさかい(京都弁)わて気になーて気になーてしょうがありまへんでしたんや(大阪弁)。おせっかいやとは 思ったけん(佐賀弁) このまんまではかわいそうやさけえ(金沢弁)おらあーサーグルのさぐ(柵)のりごえで(乗り越えて。いきなり北上して岩手&山形&宮城弁)5m離れたおっかさんのサークルに行ったとばい(福岡弁)。上り下りがどえりゃー てーへんだったがほかる訳いかんで(捨てるわけに行かないので 名古屋弁)世話しとったとよ(再び佐賀弁)」 そうか、そうだったのか。ヨヨヨ(涙)。あんたはたいしたもんだ! ブラウニー、わたしゃあんたを見直したよ! これぞワン母の鏡じゃあないか、いや人母の鏡とも言える! 己の事しか考えていない人間とはまるで違う。ご褒美にバージョンアップして鳥モツなんぞあげましょう。
 このご時勢、人間社会において自分の子供さえよければ他の子はどうでも良いと考える親の多い中、否自分の子さえ殺してしまう次元の低い人間が横行する中、わが子のみならずよその子まで面倒を見るワンコの姿に改めて尊敬の念を抱かずにおられない昨今なのでありました・・・。

<全国の皆さんとおしゃべりしているのでつい方言が出てしまいますが、ちょっと違うかな〜と言う場合はお知らせ下さいね。お願いいたします。ペコリ(礼) >


9月26日

<お墓参り 今と昔>


昨日は中秋の名月、十五夜だった。が、夕方スーパーで「どうぞご自由にお持ち帰り下さい。」と書かれたススキを2,3本持って帰り花瓶にさしただけで満足し、すっかり月を見るのを忘れて寝てしまった私だった。思えば幼い頃母は、十五夜の夜には決まってススキやおみなえしなどの草花を生けお団子やさつまいも、栗などを周りにあしらって廊下のガラス戸際にお供えをしつらえていたものだった。スズムシ、コオロギ、ウスイロササキリ、ツユムシなど虫の音を聞きながら見る満月の風情には子供ながらに興をそそられた。
 数日前母と母の実家のお墓参りに行ってきた。私の家からは車で15分くらいの所にあるが今ではお墓までの道路はすっかり舗装されてすいすい行ける。だが子供の頃はどこもかしこも砂利の混じった普通の田舎道で、バスから降りると一里(約4km)ほどの道を延々と歩くのであった。子供心に果てしなく続くその距離は地獄の道のりにも思えた。歩きながら物を食べることを良しとしない母はそんな辛い修行?の際も飴一つ食べさせてはくれなかった。が、ようやく母の実家にたどり着くとラムネやサイダー、スイカ、ウリ、桃などご馳走が待っていた。その美味しかったこと!! 楽に行って食べたご馳走とは一味も二味も違うのである。実家の仏壇にお参りしおじさんおばさんとわきあいあい雑談をすると今度は先祖代々のお墓参りに行くのであった。お墓までの距離がこれまた遠い。曲がりくねった道をえっちらおっちら歩いていくのだが「あとどのくらい歩いたら着くの?」と何度も母に聞きながら青々とした田畑を横目に見ながら妹や従弟と一緒に歩く田舎の風情はいまだに心に刻んで忘れない。以前は全て土葬だったこともあって、いかにもお寺といった古びて少し恐怖感が漂うお墓周りだったが、今ではくまなく舗装されどこの墓石も立派になった。年寄りにとってはつまずくことがなく便利になった傍らあの風情はどこに行ったのだろうかと思うと寂しさがつのる。
 お墓にお花と線香を供えお参りしほどなく帰路に着いた母と私だったが、再び車ですいすいと帰ることのできるこの現状にどれだけ楽をして毎日を生活しているかがよくわかった。ということはどれだけ苦労や忍耐をせずに日々を過ごしているのだろうか、と・・・。自動車や最新の舗装道路など人間が生活する上で一頃とは比べ物にならないくらい大幅に便利になった。だが反面、文明の利器がもたらした精神の軟弱化が今あちらこちらで噴出している昨今なのだなあと改めて思った次第でした。


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