アマンダおばさんの
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Random Diary♪♪
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10月12日(金)

<ワンコが与えてくれるもの>

庭に出るといつの間にか金木犀の小花が枝にびっしりついていた。早速幾枝かたおって花瓶に挿すと部屋一杯に甘酸っぱい香りが広がった。ワンコと散歩に行ってもまるで香水の瓶をひっくり返したように町のあちこちに金木犀の香りが充満している。もうすっかり秋なのだな〜としみじみ感じ入る。
先週は何人かの方が我が家を訪ねてくださった。プードルを探してショップさんや他のブリーダーさんのところを随分訪問して回ったというAさん、「こんなに生き生きとして元気で人懐っこい子犬を見たのは初めてです!」と当犬舎のワンコたちを目の前に感想を述べてくださった。ふと「どうして?」と理解に苦しんだが「ショップのわんちゃんは一様に覇気がなく目が沈んでいるんです。他のブリーダーさんのところのわんちゃんも寝てばかりいて・・・こんなに尻尾を振って愛嬌の良いプードルはいなかったです。」とおっしゃるにつれ、ケースの中で幾日も幾日も飼い主さんを待って孤独に耐えているわんちゃんの姿を思い浮かべとても可愛そうになってきた。私のところでも全部の子犬を個人の方に直接お渡しできるわけではないが、当犬舎のワンコたちが生き生きしているとの評価は嬉しく、有難く受け取った。これからも犬舎にいる間だけは健康に気をつけ、かつワンコ達との会話?を大切に日々世話をしていきたいと心新たに思うものである。
ワンコの譲渡を通して様々な人生模様や家族愛を垣間見ることがある。先日も「もう人生最後の犬だから」と老齢のご夫婦が訪ねてくださった。聞けばつい最近までゴールデンリトリバーが居たそうだ。が、奥様の長く手厚い看護にも関わらず癌で亡くなったとのこと。 こんな子だったんですよ、と見せてくださった写真には広いお屋敷に仕合せそうに佇むゴールデンちゃんがお洋服を着て微笑んでいた。夜寝る時は人間並みにパジャマに着替えるのだそうだ。お子さん同様に可愛がっていたゴールデンちゃんのロスは奥様に相当のダメージを与えたようだ。あまり多くを語らないご主人だったが「この人が落ち込んでたいへんだったので・・・」とさりげなくおっしゃった言葉にご主人の愛情が感じられた。 「どのショップさんに行ってわんちゃんを見ても気乗りしなかった主人がこちらで見させていただいてやっとわんちゃんを飼う気になってくれたんですよ。」と奥様。夢見る夢子ちゃんのような奥様が嬉しそうにはしゃいでいるのをご主人様が傍らで暖かく包んでおられる、そんなほのぼのとした様子を微笑ましく見させていただいた。きっと年の離れた年下の奥様がご自分がいなくなってもさびしい思いをしないようにとの計らいだったのかもしれない。
近県だが片道2時間半かけて子犬を見に来てくださったBさん家族。お目当ての子犬がお気に召した様子。2時間半かけて帰宅し、すぐさま折り返しまたまた2時間半かけて子犬をお引取りに来てくださった。お子さんがぎゅーっと子犬を抱きしめている姿にきっと連休前に子犬を譲り受けたかったのだろうと想像した。「プードルを飼うなんてぜいたくだと、頑としてOKしない主人なんです」と、数日前電話で奥様がおっしゃっていたにもかかわらず、4人のお子さんに対するお父さんの愛情は別なのだとその子煩悩ぶりを深く感じさせていただいた。子犬をお引渡したあとまたまた2時間半かけて帰宅されたことは言うまでもない。結局ワンコのためその日の大半の計10時間を山形―宮城の往復に費やしたことになる。子犬が増え奥さんを初めとして賑やかなご家族がより一層賑やかになることだろうと想像した。
同じ東北から子犬を見に来てくださったCさん。ネットカフェで当方のHPをご覧下さりお目当てのティーカップ達を実際に見学いただいた。お話をしてふと気がつくとCさんの目から涙があふれ出ていた。「どうしたのだろう。何か傷つくようなことでも言ってしまったのだろうか。それとも過去の悲しい出来事を思い出されたのだろうか。」と思っていると、「こんないたいけない子犬を見ると感動してしまって・・・」と仰るのだった。聞くと医療関係のお仕事をしておられるとのこと。こういう繊細なお心をお持ちの方だったらきっとワンコを仕合せにしてくださると確信した。そして同じように職場でも患者さんのために精一杯の心をこめたお世話をされているのだろうと想像できた。
過去においても思い出す光景がある。数年前だったがお子さんがお家に引きこもっておられ、恐らく子供さんのためになのだろう「犬の世話をすることが好きな子なんです」、と言ってプードルをお求めいただいた。その後お子さんはワンコの世話をしているうちに動物看護師の資格を目指し専門学校に入りたいと言う様になったと言う。自分に合ったものが見えてきたのだろう、その後の経過はわからないが好きなものに巡り合えライフワークを見つけたお嬢さんは、困難を乗り越えながらもきっと将来やりたいことの夢の実現のため日々励んでいることだろう。
その他にも、お子さんがおられないご夫婦が全くわが子のようにワンコを可愛がって生きる喜びを見出しているカップルや、長年お子さんができず諦めて当方からプードルをお求めになったご夫妻がワンコを迎えた途端に赤ちゃんがお出来になったと言うケース、連れ合いと別れた傷がワンコを迎え入れたことによって癒されたと言う方、子供の反抗期や自立にさびしさを拭いきれず、新たに愛する対象にワンコを迎えられた家族・・・・。
人生いろいろだが、少なくともワンコと生活を共にすることがどれだけ人間の心を愛ある暖かい世界へと導いているかを改めて思うものである。これからもより良いワンコを育て少しなりともお人様の役に立てるわたくしでありたいと念じております。

10月29日(月)

<「老いるということ」人、ワンコ>

 若い頃よくお年寄りが老眼鏡を頭に乗せたまま「眼鏡はどこだ?」と探している光景が漫画になったり笑い話になったのを見聞きしたものだ。が、今では自分が同じことをしている。そしてなぜ老眼鏡を頭に乗せるのかわかった。老眼鏡は字を見るときにはよいのだが移動するときには床がふわふわして見えてまともに歩けないのだ。特に階段を上り下りするときに老眼鏡をかけていると階段を踏み外して転げ落ちることにもなりかねない。だから度々頭に眼鏡を乗っけるのだ。
 だが幸いワンコのブリーダーをすることによって随分と老化現象を抑えられているのではないかと思う。ワンコの世話をするということは、24時間気が抜けないということだ。常にワンコたち1頭1頭の健康状態が頭にインプットされている。今までの経験と状況から判断してどう対処すべきかが大方わかる。勘も働く。来訪や譲渡までのスケジュールはさすがに頭の中だけでは覚え切れないのでスケジュール表に書き入れ他の用事と重ならないように調整するが、一つ一つの作業が頭の活性化にとても役に立っている。私が尊敬する先輩の一人のAさんは今年80歳になっても今尚現役である。「子供からもう(ワンコは)止めんさい、と言われるのだけれど犬がいるから頑張れるし、第一犬がいなければ訪ねてくる人もいなかろうと思うといつまでたっても止められんですよ」と話してくれた。まさしくその通りだなーと思う。Aさんも不肖私もワンコを扱うお仕事はライフワーク(好きなこと=仕事)なのだ。ライフワークである限り脳にも身体にも悪いわけがない。ワンコを通し全国のいろいろな方と電話でお話させていただいたり、メールのやり取りをさせていただくことがなんとも有難いことと思わせていただくのだ。
 ではワンコの老後はどうだろう。ワンコにもよるが大方8、9歳を過ぎた頃から老化疾患が出てくる。犬舎にも老犬は何頭かいるがそうした子達はできるだけ悠々自適な生活をさせてあげたく24時間温度湿度調整下の室内運動場に自由に放している。私がお付き合いさせていただいている心ある愛犬家ブリーダーは、亡くなるまで一生面倒を見るという方が多い。私も実際そうしているが、一方子犬の時から犬舎生活だったワンコにせめて中年期以降だけでも一般家庭の愛情を味わわせてあげたいと言う気持ちもあって無料でお譲りしている。まだまだ元気の良い子達の何頭かに対し里親を募集した。
 先日昨年プードルの里親を引き受けてくださったBさんよりお電話をいただいた。「なんとも人懐っこく性格の良い子で、頭も本当に賢い子ですねー、感心します。私のあとをくっ付いて歩いてトイレに入ればずっとトイレの前で待っているし風呂の前で待っている。出かけると窓にへばりついて私が帰るまで身動き一つせずにジーっと外を見て待っているんですよ。まるで忠犬ハチ公です。  庭が広いんで放してやると隣の家に勝手に遊びに行ってしばらく隣の家の人と遊んであと勝手に自分で帰ってきて、・・・絶対他に行ったり逃げたことはないんですよ。トイレもしたくなると自分で庭に出て決まったところにしてくるので家の中は汚れないし、ドアが閉まっているとかりかりして開けてくれと合図してちゃんと用を足して帰ってくるんです。芸を教えれば直ぐに覚えるし全く賢くて性格の良い素晴らしい犬ですね!」と熱っぽく語って下さった。  何と有難いお言葉だろう・・・しばし言葉が出なかった。犬舎にいたころは可愛いお顔の子を何頭か産んでくれ親孝行なワンコだったが、里子に出した後も引き続き里子先で親孝行をしている徳のある子なのだなーとしみじみ思った。とにかくワンコが良い方にお譲りでき仕合せに過ごしていることを知ることはこの上なく嬉しく、私自身の仕合せにつながっているといって過言でない。
 年を重ねることによって物が見えにくくなるなど不便なことは多いが、これは物事の白黒をはっきりさせ人を責める小さい器を大きい器にする年齢になったのだ、という天の声であり清濁合わせて飲み人を許すことのできる人格作りへの天の配剤なのだと思えてならない。そう考えると年輪を重ねることが何故か意味あることのように思えてくる・・・。



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