アマンダおばさんの
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11月29日(月)

<雑感アラカルト>

前回のダイアリー以来早3ヶ月が経過してしまいました。この間の思いをアラカルト風にまとめました。
<100万件のアクセス>8月に当アマンダブルー犬舎のHPのアクセス数が100万件を越えた。ひとえに支えてくださる皆様の応援のお陰様と心より感謝の念を抱かずにはおられない。
 思い起こせば主人が自身でHPを製作し、立ちあげたのは2001年の3月だった。何歳になっても好奇心旺盛で、IT関連には真っ先に飛びつく主人である。また愛する?妻のためには白馬に乗った王子様、何でもやってくれる主人、妻の喜びが我喜びの主人だ。好みのデザインや色を伝えるとほぼそれに近いHPを作ってくれた。あれから9年半余りの年月が過ぎ去った・・・。それまで地元の新聞や専門雑誌に時折広告を出すのみでに限られていたのが、インターネットの普及に従い、北は北海道、南は九州、沖縄、四国、中部、関西、関東、東北、北陸・・・と、そればかりではなくアメリカ、ヨーロッパの諸国、アジア諸国からもお問い合わせや閲覧を頂くようになった。
 見学に来られるお客様やお電話、メールを通して社会の方々とより一層交流の輪を広げていけたことは何事にも変えられない一生の宝となった。もちろんその間決して順風満帆とばかりはいかなかったが、その都度私なりに学ばせていただいた。何より嬉しかったのは、1頭目をご用命いただいたリピーターのお客様から2頭目、3頭目を・・・、中には合わせて4頭ご購入くださったも方々も何人かおられたことだった。当方を信頼していただいていることが本当に嬉しく有り難く、たくさんの励みとパワーを与えていただいた。譲渡させていただいたワンコにも寿命がある。亡くなったとき再び「アマンダブルー」のプードル・ヨークシャを、とお申し付けいただくことが最後の夢ではあるが、果たしてそれまで私自身が生きているだろうか、続けていけるだろうか・・・。
<次男の結婚>一級建築士の試験に合格したのをきっかけに次男が10月に結婚式をあげた。お嫁さんはいつも上機嫌の明るい女性だ。式は軽井沢のブレストンコートで執り行われた。身内だけのささやかなパーティーだったがお嫁さんの笑顔そのままの楽しい披露宴となった。
 15年も前のこと、4人の子供のうち3人の男の子達を集めて将来の「嫁」選びのお講義をしたことがある。男の子達はそれぞれ高校、中学、そして末っ子はまだ小学生だったが、きょとんとした表情をよそに「大きくなってお嫁さんを選ぶ時は決して外見で選んではいけないよ。まず大事なのは素直であること、その次に賢いこと。」と言ったものだった。長男のお嫁さんもそうだが、次男も聞いていてくれたのだなと確信できて嬉しかった。次男も一頃は同じ大学(院)の同学部の子と付き合っていたが、結局結婚したのは別の女性だった。幸せな家庭は決して学歴や美貌では得られない。心の綺麗な、従ってお顔も可愛い次男のお嫁さんをこれからも次男同様暖かく見守っていけそうだ。
<プロの審査員&ショップオーナー来訪> ショップで一人ポツンとガラスのケースに入れられている光景を思うととてもショップさんには卸しができずにいた。が、お客様が決まっていて直接お引渡しできるので、というショップのオーナーさんが知り合いのブリーダーさんの紹介ということもあって子犬をお譲りさせていただくことになった。遠路はるばる引取りに来られ予め予約くださったワンコをお見せすると、あちこち点検した結果、開口一番「さすがですね!」「完璧です。パーフェクトですよ。」と言っていただいた。久しぶりに学校の先生に誉められた生徒のような気分になって何か嬉しくなった。聞くところによるとショーの審査員もやっておられるとのこと、それではと、ついでに他に予約済みのティーカップの女の子をお見せした。すると、これはおいくらで売りに出されたんですか?と聞かれたので「○○万円です」と答えると、「ほー、そうですか。東京近辺ではこのレベルだと3桁万円以上ですよ。これはいい子ですねー。」とまたまた誉めていただいた。 手前みそにはなるが、いずれにしてもいくつになっても誉められるのは嬉しいものだ・・・。
<イタリア旅行>主人の会社の閉鎖と新たな事業展開のためここ数年間は海外への旅行も遠ざかっていたが、死ぬまでワンコの世話もないだろうと、思い切ってワンコ達をスタッフに任せ主人とイタリアに行ってきた。今頃イタリアなどと言うと笑われそうだが、未だかつてイタリアへは行ったことがない。ヨーロッパが好きで、1旅行1国と決めているが、真っ先にイタリアに行くべきなのは、ローマ帝国の文明がスペイン、フランス、イギリス・・・・と影響を与えていったからだ。なるほどローマ人の遺物である水道橋やローマンバスは各国で数多くお目にかかる。それはともかくとして今回も個人旅行と相成った。団体旅行は無駄がなく効率的にあちこち回れるのでメリットが多いのだが、どちらかというと失敗しながらまた痛い目に会いながら旅をするのが私自身は性に合っている。それぞれの好みの問題だろう。7月ごろからネットで検索を開始した。航空会社はアエロフロート。モスクワ・シェレメチボ空港経由ローマ・フィウミチーノ空港行き。アリタリア航空というりっぱな直行便があるのだがそれではおもしろくない。ロシアの雰囲気をちょっとだけでも味わいたいのと、ピロシキ、ボルシチを目当てに降り立ったのだ。それに何しろアエロフロートは日本からイタリアまでの往復の空輸代が59、000円と格安だ。片道3万円弱。さぞ飛行機はボロだろうと想像していたがそれ程でもない。操縦はもと空軍のパイロットがやっているので少々荒いが決して落ちないというくらい腕は確かだ。途中会った日本人にアエロフロートのエコノミーは狭いでしょうと言われたがそんなことはない。座席が空いているので一人2席は確保できる。中には通路側の4席を陣取って寝台のように寝ている人もいる。以前他の航空会社でファーストクラスやビジネスクラスにも乗ったが、ベッドと同じに平らに寝ることができる座席などなかった。また激安なのだから機内食なんて出ないんじゃないか、おにぎりや幕の内弁当!?でも機内に持ち込んで食べなあかんとちゃう?(いきなり関西弁)と思ったが、あにはからんやちゃんと機内食は出ました。他の航空会社と同じ、どころかおやつにアイスクリームまで出たんです。ジュースやコーヒー・ケーキも出ましたわ。折角ダイエットしてきたのに旅の初めに戻ったのでは元も子もないと食欲を押さえるのに一苦労(フー)。どう出るかと構えていった割にはキャビンアテンダントの態度も悪くはなかった。だがシェレメチボ空港ではほとんど英語が通じない。平気な顔をしてロシア語で言ってくるのには閉口した。国際空港にいるんだから英語くらい話せよな・・・。共産主義の時代が長いせいか働く気がない。レジでお客が並んでいても仕事より同僚とおしゃべりすることのほうが大事らしい。「Hello」と叫んで何度目かでやっと来てくれた。
 ホテルは、事前にネットで検索して予約をしていたが、エクスカーションでほとんど寝るだけの日はリーズナブルで駅に近いホテルにし、ゆっくりのんびり滞在できる日は豪華なラグジュアリーホテルに予約を入れた。私の場合豪華と言っても選ぶ基準は星の数ではない。インテリアが素敵な部屋のあるホテルになる。例え5つ星であろうと4つ星であろうと部屋の雰囲気が気に合わないホテルは除外なのだ。できればその地域の歴史的スタイルの家具や様式のファブリック、インテリアの部屋にこだわっているところを選ぶ。そうすると1300年や1500年の時代の風情が何となく伝わってくる。まあ結果的には4つ星、5つ星にはなるのだが。
 リストランテもミシュランが美味しいとばかりは限らない。ローマで泊まったプチホテルのスタッフとは日本にいるときからメールでやり取りをしていたが、ローマで一番というレストランはどの辺にあるのか聞くとそこよりはホテル向かいのこのトラットリアのほうがリーズナブルで美味しいよと聞かされて行ってみたら、本当に美味しかった! アーティチョークのサラダ、魚介のリゾット、ペスカトーレ、他(名前忘れた)、デザートのティラミス、エスプレッソ・・・なんでも唸るくらいの美味しさで、おまけにクリスティアーノ・ロナルドばりのイケメンのボーイの対応がとても誠実でフレンドリーだった。小さい店なのに予約無しでは入れないのか外で順番を待っている人たちが何組かいた。情報は現地のスタッフから得て、地元の人がよく行くレストランを紹介してもらうのが最良の方法だろう。
 
ところで(私達)海外旅行に行くと必ずと言って良いほど忘れ物をしてくる。パリではトイレにカメラを忘れ、オランダではアクセサリーを、ソウルではデジカメをなくし、ハワイでは免税店で購入した化粧品(約3万円也)をどこかに置いてきてしまった、そして今回は・・・・「地球の歩き方」の本が突然消えてしまったのだ! それも旅行初日で。個人旅行者にとっていろいろな情報が書かれているいわばバイブルのような案内本で、大げさに言えばパスポートの次(の次くらい)に大事なものだ。これをなくしたらこれからどこに行ったらいいのかどう行ったらいいのかわからなくなってしまう。心底困り果てた。英語でちょっとしたパンフレットは売っているものの事細かに注意点や行くべきところ、チケットの買い方などを記載している本は見当たらない。仕方がないので各地域ごとインフォメーションを尋ね歩いて現地の人に聞きながら聞きながら行ってきた。随所で日本人観光客が「地球の歩き方」の本を読んでいる姿を見かけると、その都度悔し涙を流しコピーさせてもらいたくなった。だが、コピー機などどこにあるのか・・・イタリアにはコンビ二などなーい(
^_^;)。いっそ「売ってください!」と言おうか、あるいは強奪しようかなどと思ったりもした(冗談だが)。いずれにしても海外で紛失したものはどんなに手を尽くしてもほとんど戻ってくることはない。
 めげずにフィレンツェからトスカーナのシエナへは市外バスで、世界遺産のカンポ広場でマンジャの塔に登り一路サンジミニャーノへと、はたまたバスで移動。風情あるサン・ジョバンニ通りで中世を満喫すると早日暮れ。一路スーツケースを預けているフィレンツェのホテルに戻るためバスの時刻表を見たが、サンジミニャーノからの直行便はなし。バス亭でバスを待っているアフリカ人に聞いてみた。ちょっと迷惑そうに、でも一応誠実に答えてくれた。直行便はなく、ポッシボンシまで行って乗り換えるのだと言う。そういえば旅行前予習をしていてこの地名が出てきたなー。何度も尋ねる我々に、俺も行くから付いてくればいい、と、気が乗らない風にボソッと言った。バスが来るまでの間、斜め前にいるこのアフリカ人のことを観察することが出来た。姿格好は周りにいる観光客とは明らかに違和感を放っている。他の人たちのきらびやかな服装とは対照的にこの青年だけは薄汚れて地味ななりだ。ふと見ると傘が入っているらしい手荷物を持っている。傘は1本ではない。やっと飲み込めた。このアフリカの青年はサンジミニャーノに観光をしに来たのではない、観光客目当てに傘などを売りに来たのだ。でも今日はそれほど天気は悪くなかったよなー・・。きっと傘は売れなかったに違いない。売り上げが上がらないのに訳のわからない日本人(私達)に質問だけされてさぞ迷惑だっただろう。故郷の家には奥さんとひょっとして子供もいるかも知れない。日銭が稼げなかった背中には今晩の糧をも憂えざるを得ない何ともいえない侘しさが滲み出ていた。あまりに気の毒で傘を買ってあげようかとも思ったが何かわざとらしくかえってプライドを傷つけてしまうかなと、思っているうちにポッシボンシ行きのバスが来た。彼はいかにも慣れた手つきでバス横の荷物入れに大きいバゲジを入れた。偶然バスの席も我々の斜め横だった。ひとしきりおしゃべりに高じる賑やかな観光客の中で彼のところだけは終始無言だった。きっと彼はアフリカの郷里では仕事がなく、イタリアの観光地なら何かあるだろうと家族の重荷を背負いながらやってきたのだろう。イタリアに限らず欧米人は程度の差こそあれ有色人種に対する根強い差別心を持っている。黄色人種の日本人もしかり、そしてこの黒人もどれだけの差別を受けてきたのだろうと容易に察することができた。ある意味欧米人の人種差別は一代のみならず祖先からの遺伝子に組み込まれている程の差別心ではなかろうかと思うことがある。たった10日ほどの旅でもそのことを時に息苦しく感じる私だが、彼の場合母国に帰る以外は永遠にこの差別の中で生きていかなければならないのだ、と思うと何て気の毒なと、こちらまで暗い気持ちになってしまった。途中から彼の知り合いらしい同業者のアフリカ人が隣の席に乗り込んできた。一瞬明るい表情をしたがその時だけだった。知り合いが現れても話す気力もないのだろう。周りの陽気さと対照的に2人の空間だけが終始無言で灰色だった・・・。観光のガイドブックを失くした不便さは拭い去れないが、失くしてわかったこともある。ガイド本の記載通りにバスを待っていたならきっと彼に聞くこともなく、従ってその存在すら気がつかなかったかもしれない。
 ヴェネチアのバポレット(水上バス)では、隣に東洋風の青年が座っていることは気がついていた。だが、シエナのカンポ広場でてっきり日本人かと思って日本語で一言二言話したら、英語で「僕はフランス人です。生まれはカンボジアです。」と言われたので、彼も韓国人か中国人、あるいはフィリピン人かと思い、しばらく英語で話しかけていた。あちらも我々のことをそう思っていたようで英語で答えていた。しばらく互いに英語で話を続けていたが、やおら彼が荷物から取り出したガイドブックを見ると何とそれは日本語で書かれた本だった! 「あれ?日本人ですか?」と聞くと「ええ、そうです。お宅様達も日本人ですか?」  その時初めてお互いが日本人同士であることがわかったのだった(汗)。 以降はもちろん日本語で話をした。聞くところによると彼は麻酔科の医師(東大)で休みが取れるたびに世界旅行に出かけるのだそうだ。前回は南アフリカのジンバブエに行って1か月の給料分丸ごと盗難にあって、残ったのはパスポートとカードのみだったこと。どうも航空会社がだっくんでいる様子等等話してくれた。彼も全くの個人旅行者(偶然にも彼もアエロフロートの利用者だった)だが、例え、つきものの失敗や損失があっても、広く世界に目を見開き、土地土地の人々に触れ合い国民性を知り、見識を深めることで自分の器を広げようとしているのではないだろうか。それこそが海外旅行の真の意義といえるのかもしれない。景色や建物を見ることも意味があり楽しいことには違いないが・・・。
 海外旅行は、日本と海外を比較する絶好の機会といってよいだろう。パリのラファイエットは一流のデパートなはずだが、何年か前買い物をしてレジに持っていくと値札が取れていた。すると同じようなのがあるから持って来いと言う。混んでいるところを並んでやっと順番が回ってきたのに何故自分で値段を確かめに行かねばならないのか、店員がする仕事でしょうと思いながらも他の同じ品を携えてレジに戻ると、他の客の応対で割り込めずまた最後尾から並ばなければならないはめに陥った(トホホ)。パリから戻って数日後、自宅近くのスーパーで同じ現象に出くわした。パリと同じに商品に値札がついていなかった。ところが日本の店員の対応は全く違う。「申し訳ありません。今すぐ確かめてまいりますので少々お待ちください。」、と言ってレジを離れやがて「お待たせいたしました。」と、戻ってきたのだった。私はその時日本はなんて礼儀正しく丁寧で素晴らしいのだろう!と感激したのを覚えている。また、イタリアも他の国も同じだが仕事中のおしゃべりはどこでも当たり前の世界だ。フィレンツェのウフィツイ美術館のような重厚かつ威厳のある職場でさえ従業員同士が仕事中にしゃべりまくっている。ヘッドホーンを借りる手続きをしている最中も最初から最後まで同僚としゃべり通し、とうとう一度も客の顔を見ることなくしゃべりながら器用にお仕事?をした。日本ならとっくの昔に首だろう。
 海外旅行は日本の良いところを再認識するための旅と言って過言ではない。他人への「おもてなし」の心がまだまだ残っている日本、多少の差別はあるにせよ欧米ほど人種差別がない日本、忘れ物をしたら戻ってくる確率が0に近い外国に対して、きっと誰かが届けてくれる日本。
日本の地に降り立つたびに何かホッと安堵感を覚えるのは私一人だけであろうか・・。



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