アマンダおばさんの
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11月5日(土)

<改装工事>

今月はダイアリーをブログ風に綴ってみたいと思います。
月初めから、震災でクラックが入った外壁の工事が始まった。何しろ20年近く屋根も外壁も吹き替えをしていなかったのでこの機会にリフォームをすることにしたのだ。どうせリペアーするなら今までの白基調の外観をやめてちょっと変化をつけようと、ただ今四苦八苦&悶絶中。外観が成功するか否かは、ひとえに半ばガタのきている私の右脳にかかっていると思うと責任重大。失敗したら目もあてられない、どなんしよう・・。
壊した外壁にシートが張られているので窓からの景色は見えない。部屋の中全体が真っ暗状態、電気をつけなければまるで牢獄に閉じ込められた囚人か、あるいはまさに引きこもりびとになった気分。ジャングリッシュガーデンでも見えないよりはまし。草木を見ることでいかに元気づけられているかが改めてわかる。
改装中でもわんこのご見学は大丈夫ですのでご安心ください。





11月6日(日)

<エリートの子犬>

1週間前ヨークシャテリアのミル(1.7kg)が帝王切開で女の子を出産した。今まで3回とも不妊で振るわず、このたび4回目のヒートでやっとこさご懐妊。飛び切り美形なお母さん犬のミル、雄犬は若手気鋭のピッコロ。とても楽しみな組み合わせだ。が、母乳が出ないことに加えて、他の母犬のおっぱいをあげようにも小さくて吸えないため2,3時間おきにミルクをあげている。ミルに似た綺麗な子を育てて成長を見たいのと、折角痛い思いをして生んだのだから生きてほしいとの思いで、必死で哺乳している。が、ただ今体重65g。プードルでもヨーキーでも小さいオスに小さいメスをかけると確かに小さい子は生まれるが、軌道に乗るまではかなり手がかかる。また帝王切開はヒート毎続けてすることはできない。母体の安全のためヒート1回飛ばしで約1年に1回、一生のうち3回生ませられれば御の字だ。一度帝王切開をすると、大なり小なり腹腔内に癒着が起こり次回からの妊娠が難しくなる場合があるので3回さえ無理かも・・・。子犬が生まれてからも前述の通り寝ずの世話が待っている。極小の子犬が価格的に高くなるのはこういう理由にも拠るのだ。困難を乗り越えられた生命力の強い子だけが新しいオーナー様のところに嫁いでいく。そうした子はいわばエリート中のエリートわんこなのだ。



11月7日(月)

<有難いことに・・・>

朝電話が鳴った。昨年の9月に当方よりヨークシャテリアの女の子をご用命いただいた方からだった。すぐには思い出せなかったが、お住まいの場所をお聞きすると次第に記憶が蘇ってきた。お譲りしたワンちゃんが小ぶりでとても可愛い子に育ったこと、お会いする皆さんからお褒めいただくことなどご報告くださった。この度その子のお友達犬をお迎えしようと再び当方にお問い合わせくださったとのことだった。一度ご縁があったお客様から再度お問い合わせいただくこと位嬉しいことはない。
 先日も、13年前に当方よりやはりヨーキーをお求めいただいた方が見学に来られた。「確かこのあたりに住んでいたと思って来たんです。出来れば13年生きて老衰で亡くなったヨーキーと同じブリーダーさんから再び子犬をお迎えしたいと思いまして・・。生存中はどこに行ってもみんなから可愛いと言われて、とても人懐っこい賢い子でしたー。震災前に亡くなったのがせめてもの救いです。」とワンちゃんのことをお話しされた。この方は、今回はプードルをお迎えくださった。
 過去ご用命いただいたワンちゃんが老衰とはいえ亡くなったことは悲しいが、再度当方に子犬をお問い合わせいただいた事が何と有難い事かと感じさせていただく。この仕事に携わって報われる瞬間でもある。そう言っていただけるよう今後ももう少し頑張りたい・・。


11月9日(水)

<花子の死>

長年 長男の飼い犬だったダックスの花子が亡くなった。腎不全を伴った老衰で19年の一生を閉じたのだ。19歳といえばわんこの中でも長生きのほうだろう、無類のわんこ好きの長男は、毎日の歯磨きを始め、こまめに世話をしたためここまで生きたのかもしれない。
 思えば花子は我が家に来たダックスとしては初めての子だった。何か不気味な格好にダックスだけは飼うまいと思っていたのだが、知人に「あの短い足でよちよち歩く姿が可愛いんだよ♥」と聞かされ、それでは一回どんなものか飼ってみようと迎えたのが花子だった。当時はまだブラック&タンが主流でダックスが流行に乗り始めたころだった。ところが図体が大きいにも関わらず花子はお産をさせても帝王切開ばかり。もうペットで飼うしかないということで長男のわんこになったのだ。以来大学受験の厳しい時期をともに過ごし、また合格後も大学近くのマンションに一緒に住み、研修医となった岩手県に同行し、出張先まで連れて行った。結婚後もずっと一緒だった。
 振り返れば賑やかな6人家族の中から大学入学のためたった一人で家を離れることになった長男、よほど寂しかったのだろう。ほどなく「花子を送ってくれ」と連絡があった。学生の身分でわんこを飼うなんて聞いたことがないと思ったが、主人が送ってあげたら、と言って決まりになった。勉学に部活に同好会に飲み会に、そして社会人になってからもハードな勤務体制の中、花子の一生のほとんどが留守番で占められていたといっても過言ではない。時折主人と2人遠出をして長男の所に訪ねていくと、ピンポンと押したマンションのドアのゴミ屋敷?のような奥から嬉しそうに尻尾を振って出てくる花子に何度出会ったことか・・。文句も言わずに素直に長男についてきた花子。どれだけ長男の支えになってくれたのか・・。
 来年1月半ばには長男夫婦に初めての子供が生まれる予定だが、自分の役目はここまで、とばかりに子供と引き換えに花子は天空へ旅立って行ったのかもしれない。花子、長い間「K」の支えになってくれて有難う(合掌)。

11月11日(金)

<母から譲り受けたもの>

近くの老人施設にお世話になっている母を訪ねた。ちょうど食事の時間にぶつかったようで、部屋にはおらず食堂にいた。入所当時はベッドに寝たきりだったが、最近は車いすを押してもらい食事やティータイム、催し物などに参加することができるようになった。それに伴って他の入所者に会う機会が増えた。すると着る物にも拘り始め、「家にある服を持ってきてくれないかな-」と言う。御年88で鳥ガラのように痩せてしまった身でもやはりお洒落はしたいのが女心。もともと母は若いころからお洒落で、そのワードローブの数といったら私の比ではない。冬のコートなど高そうなのがいくつもあって「こんなにあっても着ていくところがあるんだろうか」と思うほど。
 数日前少しでも変化を楽しめたらと、ついでに私が以前着ていたニットも持って行ってあげていたが、訪ねるとそのニットと同系色で飾りのついたソフト帽に、イタリアのお土産に買ってきたニュアンスカラーのストールをうまい具合にコーディネートして着ていたのには驚いた。とっても似合っていたのだ。思わず、「さすがだねー」と唸ってしまった。母のセンスには年季が入っている。
 お洒落は人を生き生きさせる。いくつになっても服装には拘りたいもの。服装に無頓着になったらお終まいに近いのかもしれない。
 母は長所をたくさん持っている。だが私はあまり母に似ることなしにここまで来てしまった。唯一色に対する感覚だけが母から譲ってもらったささやかな財産と言えるのかもしれない。
 誰に対しても感謝の心を忘れない母。「有難うね」、別れ際に必ず言ってくれる母。同じ立場になったとき、私もこれだけは見習って言おうと思う。

11月15日(火)

<シシィの子育て>

 シルバー・プードル「シシィ」の子がようやく離乳の時を迎えた。振り返れば、ティーカップサイズのシシが帝王切開で動物病院より戻ってきたのは2か月余り前のことだった。大きく育てるつもりでスタッフに管理を任せたシシィだったが、生まれ持ったものがそうさせないのであろう、シシィは初産で2頭の子犬の小さなお母さん犬になった。帝王切開の直後は皆そうだが、シシィも切ったあとの痛さでぶるぶる震えていた。こんなとき通常母犬は自分のことで精いっぱいで子犬のことに興味を示さない。場合によっては近寄ってくるわが子を鼻で蹴散らす親もいるのだ。自然に生んだのとは違って自分の子、という自覚が持てないからであろう。だが、シシィは痛さに堪えながらもわが子を探す母親なのであった。親の反応を見てからでないと一緒につけず、他のところに置いておいた子犬の泣き声の方を向いては連れてきて とせがんだ。初産ということもあって少しの間3時間おきにおっぱい指導をしたが、その後はほとんど手をかけずとも乳を吸わせ、健気にお尻の世話をした。当たり前のようだが小さいお母さん犬の場合はおっぱいさえ出ないことがあるのでこうしたことは珍しいうちに入る。一生懸命子育てをしながら1か月もすると、シシィは犬の習性で自分の食べたものを吐き出して子犬に食べさせるようになった。離乳の始まりだ。同時にそのころから子犬にふやかしたフードをあげると子犬たちも進んでフードを食べるようになった。この時期極小の子は離乳指導をしたり、食べない場合は捕食をしなければならないことが多いのだが。
 このシシィお母さん、一番立派なところは、どんなにおなかがすいていても決して自分から先にご飯を食べようとしないところだ。まず最初に子犬たちが食べるのを見てほぼ満腹になったところで残りを食べる。ちなみにフードを見ても素知らぬ顔で食に興味を持たない子犬もいる中、シシィの子たちはフードをめがけてまっしぐらに突進していく(*^_^*)。(シシィ)あまり食欲がないからかな?と思ったが決してそうではない、時折子育てのご褒美に母親全員に雛鳥レバーや缶詰などをあげることがあるのだが、そんなサプライズの折にも変わらない。自分だって食べたいだろうに、まず子犬に食べさせてから残りを食べるのである。他の親たちは・・・と見ればご馳走に狂喜し、大概は子犬をさておいて自分が食べてしまう。横から首を突っ込む子犬に威嚇するセルフィッシュなお母さんもいる。
 生まれて2か月もすると子犬に歯が生えてくるためおっぱいを吸われるのが痛く、たいていの親は威嚇しておっぱいとの離別を促す。が、シシィはいまだ子犬たちと一緒のサークルで子犬たちの世話をしている。そろそろ涙の離別が近づいてはいるが・・。
 こうした生き物の子育てにもともとあったはずの原風景を見せてもらうことが、この仕事に携わらせてもらう役得なのかなと思う。と同時に育児ノイローゼにまつわる尋常でない人の世の暮らしのありようをふと考えてしまう。
 いずれにしても、できたお母さんシシィの子たちは極小ながら健康に、そして屈託なく明るく賢い子に育っている。全てにおいて私の理想に近い素質を兼ね備えているシルバーのワンコになりそうだ(子犬情報にアップ中)。
  ←シシィ

 

11月17日(木)

<改装工事その2>

改装工事がいよいよ山場を迎えた。3月の震災時外壁のあちこちにクラックが入ったが、その後余震もあったので補修の時期を決めかねていた。それ以上に職人さんの手が足りず、引き伸ばしになっていたためひびの入ったところから雨水が入り込み中が腐ったところもでてきた。そうした箇所を大工さんが直してくれ、昨日左官屋さんの下工事が終了した。今回は外壁と屋根までの塗装になるので足場を組んだ。バラの鉢は半分ほど実家の庭に運んだが、それでも足場がじゃまして手入れがままならない。チューリップやユリ、ムスカリ、パンジーの植え付けもしばしお預けとなったため、工事終了予定の12月半ば以降にたまった庭仕事を一気にしなければならなくなりそうだ。想像しただけでさむ(ぶ)ーくなる。さっそくネットでユニクロの防寒着を購入した。中がフリース、外がポリエチレンなので冬の庭仕事にはもってこいだ。
 外装のデザインは悩んだあげく、屋根はグレイ、外壁は薄いアンティークイエロー、北側窓のルーバーとプランターボックスはアンティークグレイの色にペイントを決めた。玄関周りと東のダイニング外壁はペールイエローのコッツウオルズ アンティーク煉瓦を張ることになった。なかなか手に入らない煉瓦のようだが、ちょうどスカイツリーの内装で使用のため輸入される予定があったので、その一部をおこぼれとして?分けてもらえることになった。あの有名なスカイツリーの内装と同じ煉瓦を使えるのだと思うと申し訳ないやら嬉しいやらで今からドキドキしている。
 白壁とオイルステインのティンバーを使ったチューダー様式風?だった外観を、むりくリコッツウオルズの建築風にするというのだから無理は承知の上である。
  「家はあと10年ももてばいいから、(私)どうせ生きると言ってもこの先10年くらいのものでしょう」と言ったら、長年馴染みの建築士、Tさん曰く「あと10年で死ぬつもりなの?宮澤さんだったら100歳まで生きるんじゃないの?」だって・・・。(どういう意味じゃ)

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11月26日(土)

<シルバー・超ティーカッププードル・子犬の譲渡>

先日来 子犬の見学のご予約をしてくださっていたH様(氏)が東京よりシルバーの超ティーカップの女の子に会いにお出でくださった。お聞きするところによると、長年プードルを5頭飼っていたが、18歳余でシルバーのプードルちゃんが1頭老衰で亡くなったため、今回新たにシルバーの女の子を検討されていたとのこと。当方のことは3年前から同じ東京のわんこ服の店ブル・ブブさんから聞いておられたようだ。ブル・ブブ さんと言えば過去に当方出身のプッチーニちゃんがモデル犬を務めていたショップさんだ。プッチちゃんの載っているカタログを私は今でも大切にしまっている。現在はやはりブル・ブブさんのオーナーさんにお譲りさせていただいたアプリコットのティーカップちゃんがモデル犬をしているとのこと。広いようで狭いところでつながっているものだと、一層の親近感を覚えた。
 子犬を譲渡させていただく際、どんなシチュエーションで飼われるのかブリーダーはよく知っておかなければならない。特に極小犬の場合お留守番の長さによっては工夫をお願いすることもある。だがH様は自営業で自由がきく身であること、そしてこのシルバーの子がきちんと自食する子であることから問題はないと判断した。
 1頭亡くなって4頭になったうちの1頭はお嬢さんと一緒に寝、残りの3頭はH様と寝ているのだそうだ。「3頭があちこち体にへばりついて寝るので寝返りが打てないんです」と聞いて、とても可愛がっておられるのだな~と感じた。
 3月の大震災の話題になった折に、「津波の場所は(遠くから来られる方に比べ)すぐ近くで見に行ける距離なんですが、(私)とても行けません。そのあたりで大勢の人が流されていったことを思うと・・・、いまだ一度も行っていないんです」とお話しすると、「そうですよね・・」と同調してくださり、また「外飼いのワンちゃんはほとんどが助からなかったそうです」と言うと、「そういうお話はかわいそうで・・・聞けません」と仰る言葉の中から、本当に心からわんこを愛しておられる優しい方なんだな~と感じた。
 シルバー・ティーの女の子は性格がキュートで利発な子なので、きっとH様に気に入っていただけるだろう。新幹線でご帰宅後、「もうすでに元気に家の中を走り回っておりますよ。他のわんこともご対面し慣れてきております」と早速ご報告いただいた。
 とても良い方にご縁があり嬉しい気持ちいっぱいにさせられた。今後の成長を楽しみに見守っていきたい。

<追記>ご報告
前回のキャンペーン収益金の中から東日本大震災で被災したワンちゃんのボランティア団体(今回は宮城県)に義援金を寄付させていただきました。







11月30日(水)

<難しい両立>

今リビングルームにはプードルとヨークシャテリアの親子のサークルが2つ、それぞれの子犬を育てている。一頃は4つほどのサークルが満杯で、3頭のお母さんわんこが同時に陣痛が来て大慌て・・・などということもあった。
 リビングにはお産近いわんこや、産後間もない母子を置いていて、いわば24時間休みなしの集中治療室になっている。つまりお産近い子はいつ陣痛が来るかわからないので傍に置く必要があり、またお産後の子犬は放っておいて育つ子もいる反面母乳につける訓練をしなければならないケースもあって、産後しばらくは3時間おきに起きて哺乳指導をするため必然的にいつもいるリビングルームが寝室になってしまうのだ。聞くところによると、ブリーダーの友人たちは一様にリビング=寝室になっているようだ。
 何年間かこのお産後の親子がいるリビングに3頭のわんこを放し飼いにして置いたことがある。ハイジやジュリア、そしてキャビアの3頭。サークルで管理しているワンコと区別して一般のペット飼いのように傍らにわんこを置くことは、差別をしているようでとても抵抗があったが、譲渡後の子犬育ての相談を承ると、自分自身も同じようにペット飼いをしないと適切なアドバイスができない、ということもあり3頭ほど傍らに置いて普通のご家庭同様に生活をしたのだった。「お客様のためだから・・・」と割り切るようにはしていたが、サークル内のわんこの身になれば「どうしてあたし(達)だけサークルの中であの子たちは自由の身なの?」ということになる。もちろんケージで管理していてもサークルで子育てしていても室内の運動場で毎日4、5時間は自由運動をさせてはいるのだが。いずれにしてもお産前後のわんこは人間同様とてもブルーになり、出産後は子犬を守るために神経質になる。
 そしてある時、とてもショッキングな出来事が起きた。お産して間もないあるサークルを見ると、母犬が子犬を傷つけてしまっていたのだった。
 「どうしてこんなことに・・」としばらくは言葉さえ出てこなかった。どんなに痛かったのだろうか、と思うと子犬のいたいけな姿に涙が溢れ出た。だがよく考えてみると、ただでさえお産後でブルーになっているところに他のワンコがリビングで走ったりたまに吠えたりするのだ。そんな様子を見て母犬はきっと危機感を感じたに違いない。情緒不安定にもなっただろう。子犬を敵から守るため本能からそうしたのだと、数日間の悲嘆の末やっと理解できた。
 以来、極小の子でどうしても傍に置かなければならない子犬以外リビングでペット飼いをするのはやめにした。私自身差別することにもやはり抵抗があった。少なくとも私の所のシチュエーションでは両立は無理なのだ。
 当初は不満一杯?だったハイジもジュリアもそしてキャビアも、今では犬舎でのケージ飼いにも慣れ、自由運動の時間に主人や私の顔を見つけると嬉しそうに飛んでくる。いぜれ里子に出す機会があればその時に「ペット飼い」の幸福を味わわせてあげたい。
傷ついた子犬も成犬となり、それなりに不便さをカバーして皆と一緒に犬舎で遊んで元気にしている。


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