アマンダおばさんの
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2014年3月
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3月23日(日)

<雑感>
<VOL・1>先日の3月11日東日本大震災から3年目の日、各地で亡くなった方々の追悼が行われた。亡くなった親戚や近しい知人はいないが、この日が来るたびに当方からお譲りした被害者のワンコ達を思い出す。AとBは夫々小振りのプードル達だった。どちらも里子でお譲りしたが、可愛いお顔の子達だった。女の子のAは当方でも希望の星の綺麗なプードルで、2度程とてもキュートな子を産んでくれた。その後うまく妊娠せず、避妊手術をしてお譲りしたものだった。男の子のBは交配にあまり出番がなかったため譲渡したのだが、たいそう可愛がっていただいたようで洋服を着た姿で連れて来られた時は幸福そうなお顔をしていた。その2年後くらいだろうか被害に遭ったのは。飼い主様が日中仕事だったため津波があった時助けに行けなかったという。もっとも海岸に近い距離であれば在宅でも人、ワンコとも助かったかどうかわからない。最後に生まれたダックスの子犬達も海岸沿いのお宅に譲られていっていた。たぶんダメだっただろう・・。石巻や気仙沼には里子でお譲りした子が他にもいる。音信不通のオーナー様やワンちゃんはどうなったのだろう・・。
水に浸ってさぞ冷たかっただろう、瓦礫に当たってさぞ痛かっただろうと思うと、我が家にいれば津波に遭う事もなく助かったのにと後悔のみが残る・・。
あの日の悲劇を風化させないため、私はあの物のない時期にやっとの思いで手に入れた「屋台18番」のインスタントラーメンを食べることにしている。3年たった今はこのラーメンにネギやメンマを入れて食べているが、当時はラーメンだけでも精いっぱいだった。何も食べるものがない時、長女がどこからか調達してきてくれたこのラーメン。食べると味とともにあの当時の事がまざまざと蘇る・・・。

<VOL・2>
ブリーダーの友達というのは出来にくい。30数年前、私は一介の主婦だった。中学・高校・大学とエスカレーターの私立校に通い、その後すぐに主人と結婚した私は、かなりの世間知らずだった。その頃ブリーディング専門の学校もなく、プードルを譲ってもらった先輩に電話でいろいろ聞くと親切に教えてくれた。だが、受話器を置いたその瞬間から全国のブリーダーに「宮澤はこんなことも知らない」とあることないこと悪口を触れ回った。良い人だと信用していたのに、しかも幾度となくその人からワンコを購入したり、交配料を払っていたのに。この世界はこういう人がいるのだと戦慄の走る思いだった。その他にも雑誌を見て有名犬舎より迎え入れたヨークシャテリアが全身ダニだらけだったり、虫や菌、感染症に罹患していて購入後すぐに死亡した犬もいた。衛生観念がなかった30年前はどこでもあったことのようだが。究極は、イギリスチャンピオンだと言われて振り込んだ数百万円が詐欺だった。全て泣き寝入りだった・・・。
当時いわゆる「犬崩れ」しないブリーダーが何人いたことか。だが、全くいないわけではなかった。九州のヨークシャテリアのNさん、兵庫県のAさんは今でも親しく、普通の社会人と同じように誠実にお付き合いさせていただいている。中でもKさんは交配をきっかけに交流させていただいて10年ほどになるだろうか、すべてを丸ごと受け入れ、認めてくれるブリーダー友である。他には左右されず自分のポリシーというものがはっきりしている大人の人間だ。ブリーダーとしての知識はかなり豊富で、特に病気の事は獣医師並みに知っている。<自分では、ブリーダーではなく愛犬家と称しているが> ワンコの事は自分以上に考えている。ワンコが具合悪くなると自分の犬だけではなくよそ様のワンコまで行きつけの病院に連れて行って診てもらうほどの情けのある人だ。病院代も月に数十万円で医療費を支払うのにパートに出なければならない、と冗談を言うほど。もっとも当方も同じようなもので、ワンコ達の高額な医療費を捻出するために子犬を譲渡しているといっても過言ではない。人間のわが子はほとんど病院に罹ったことは無いが、ことワンコはちょっとした事でも検査をしたり・・・といろいろかかるのだ。互いに情報を共有することでたくさんの事が役に立っている。都合が悪くなると掌を返す人の多いこの業界で、たった一人でも心を許しあえる友と呼べる人が同業者にいるという事は感謝すべきことだと思う。

<VOL.3>
子犬をご用命いただくご家庭の中にはお子さんが学校に馴染めなく、家におられるというケースがある。記憶しているだけでも三家庭あった。中には家庭内事情を話したくない方もいると思うので実際はそれ以上だろう。上のお子さんがいわゆる引きこもりだと下のお子さんも行かなくなるという。ご両親の心中はいかほどのものだろうと案じる。
当方の子達は4人とも小さい時から互いに揉まれに揉まれて育ったためか、学校で辛い思いをしても家で免疫が出来ているせいで不登校の子はいなかった。むしろ夏休みなど長い休みが続くと「暇だ~。早く学校始まらないかなー」という子ばかりだった。それだけでもお蔭様だったと思う。
だが、不登校の子の気持ちはわからないでもない。私自身が不登校児だったからだ。両親が不仲の暗い家庭で育った私は人とどう接してよいかわからなかった。気のおける友達がいない学校に行ってもつまらない。いわゆるお嬢さん学校だったので、辛辣ないじめにはあわなかったが、だれも口をきいてくれない学校に行くことは針の筵に座るのと同じこと、次第に学校から遠のいてしまった。
私の身の上話などどうでも良い。だが、そうした子達に言いたいことは、学校に行けない「ピンチをチャンスに変える」ということだ。学校ではしたくもない勉強を否が応でもしなければならず時間を取られる。だが、家に籠っていると時間はたっぷりとある。この自由な時間に自分の好きなことを徹底してやらない手はない。今はネットを駆使することが出来る。自分が心から熱中できるものが何なのかを探る時間に充てたって良い。何しろ朝起きてから夜寝るまで、(引きこもり人は夜起きて朝寝るパターンかな)たっぷりあるのだ。自分が面白いと感じるものが現れたら、出来れば通信教育で好きなジャンルの資格を取ると良い。自分の興味のある分野なら多少つらくともやってのけられる。私も籠りの間中ワンコに関する資料を集めるのに夢中になった。問題は人間関係だが、不器用でもいいからとにかくfaceすることだ。逃げてはいつまでも解決しない。まず挨拶から始めよう。人としゃべるのは苦手でも家族や隣近所の人に「お早うございます」とか「こんにちは」位は言えるだろう。そして人に感謝の気持ちを持つことだと思う。かつて人中が苦手だったころ、何でもいいから感謝の気持ちで人を見ることにした。スーパーのレジの人に「清算してくれて有難う」ドアの所でぶつかりそうになったのをよけてくれた人に向かって、「有難う」。人とうまくやっていけない不安を払拭するには常に感謝の気持ちを持つことだと思う。そう努力しているうちにきっと一人位理解してくれる人が現れるに違いない。私の場合は主人だった。主人が現れなければたぶん自殺してこの世にはいなかっただろう・・。
死ぬのはいつでもできる。Man is mortal、(人は死すべきものである)、黙っていたって死ぬときは必ず訪れる。何も死に急ぐことはない。お子さんがまだ小さくて世話をしなければならない時期に50歳前に病気で亡くならなければならなかった知人を先日見送った。生きたくても生きられない人々がいる中で自分から命を絶つなんてもったいないことだ。誰しもが誰かの役に立つために命を与えられているのだ。それならば役目を果たそうではないか。例えば過去にワンコを迎えて動物看護士やトリマーの資格に目覚めたお子さんもいる。ひとつでも何か得意分野があれば人間関係のギクシャクも何とかなるものである。謙虚で感謝のある人間の所にきっと人は集まってくる。
「アマンダおばさんのダイアリー」を読んでもらっている中に引きこもり人がいたならば、ちょっとだけでいい何かを感じてもらいたい。このアマンダおばさんこそ引きこもりの大先輩だったのだから・・・。

 


 



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