アマンダおばさんの
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6月9日(木)

<主人が傍にいてくれることの有難さ>

 先日の事だった。2階のベランダに植えたプチトマトの枝が折れて放置されているのに気が付いた。見ると、まだ黄色く固くはあっても、既に小さいトマトの実が何個かついている枝だった。折角大切に育てていたのに、と思うと、悲しく恨めしい気持ちでいっぱいになった。とっさに犯人は主人だなあと思った。ベランダの苗や他の花に水やりをしてくれた音を聴いていたからだ。一瞬カーッとなった。「そういえばこの間も気に入っていた皿を割ったなー」と思うと、怒りが倍増した。

 しかし、ふと、「天は私に何を教えようとしているのだろうか」と考えた。「トマトの実をできるだけたくさん収穫したいという欲張りな自分を戒めようとしているのだろうか」そして、「折れたとしてもまだ十分無事な苗はある。今ある現実に「足るを知れ」と言っているのだろうかとも思った。  
 更に突き詰めて考えると、「そうだ、寛容の心を持て」と言っているのかもしれないと、気が付ついた。かつて、なにかの本に夫婦は互いに寛容の気持ちを持つことが大切、と書かれてあった。日頃主人にワンコの世話を手伝ってもらったり、困ったことがあるとすぐに解決してくれる主人だ。車のライトをつけっぱなしにした時も「気をつけなさい」と注意しただけ。いつぞやは水栓が何かの拍子で開き、庭のホースから水が出っぱなしになっていたことがあった。が、24時間出しっぱなしの水道料金1万円がいつもの水道料に加算されたその時でさえがみがみと叱ることはなかった。日頃どれだけの寛容の心で主人は私を許してくれていたかを考えると、自分も同じに寛容のピンポン玉でお返ししなければ、と思った。   
 先日4日土曜日に再放送された「風の電話~残された人々の声」のビデオを見た。東日本大震災5年目の前日3月10日に放映されたものだったがあいにく見ないでしまった。6月に入ってこの番組が再放送されると知り、早速予約を取っておいた。  
 妻と子供、父母を津波で亡くした大槌町の若い男性が電話線のない黒い電話に向かって悲痛な叫びを訴える。当時子供はまだ1歳、「イッセイ、お願いだからまたパパって声を聞かせて」「時々何のために生きているかわからなくなるんだよ」「新しい家建てても、父さん、母さん、ミネちゃん(奥さんの名前だと思います)、イッセイがいないから・・・ 意味がない!」「助けてあげられなくて・・ごめん」
 兵庫県西宮から来たという壮年男性は娘を嫁いだ先の南三陸で亡くした。妊娠4か月の身重だった・・。
 息子を亡くした母親は、車の音がすると、「あんたが帰ってきたと思ってね」と。「お父さんはコーヒー好きだったあんたのために朝、昼、晩とコーヒーを入れて仏壇にあげているんだよ」と。

 トラック運転手だった父親を仕事途中の大船渡で亡くした一家4人は、青森からやってきた。亡くなってから父親のことを一切しゃべらなかった中学生の娘は電話ボックスに入ったとたん、せきを切ったように思いのたけを話し始める。「生前お父さんのことを臭いと言ってごめん」「バイオリン買ってくれると約束したけど・・・もう自分で買うから」と大泣きしながら話すのだった。
 いつもひょうきんだった末っ子の陸君は我慢しきれず初めて泣きじゃくった。
 最後に母親がボックスに入る。「いつも電話で「生きてる?生きてるよ」ていうのが合言葉だったのに、今じゃ生きている?って聞けないじゃん。一緒にやりたいこといっぱいあったのに・・・」。と言葉を濁します。
 陸前高田市の壮年男性は何度も何度もラブレターを書いてようやくゴールインしたほどの熱愛で最愛の妻を亡くした。4人の子供をもうけたが経営していたスーパーが倒産。その時も妻は、「私はどこにも行かない。あなたとここで暮らしていく」と、新聞配達をする夫の傍ら、妻もパートの仕事をして助けた。男性は言います「形は見えなくとも死んだ妻はここにいるさ。だって好きだったひとだよ。形がなくてもいるさ。」「ここで生かされている。だって一人で生きてきたわけではないもん」と。
 私はこのドキュメント番組を見て、人は誰でも互いに支え合って生きていること、たった一人では家があっても家族がいなければ決して幸せにはなれないのだ、と思った。
 
 改めて、家族が無事でいること、そして、主人が傍にいてくれることが何と有難い事なんだろうと思った。5年前は、震災の翌日、3月12日の午後3時ごろに仙台空港に行く予定があった主人。1日前の11日だったらひょっとして津波にのまれていたかもしれないと思うと、・・・トマトの枝を折ったくらいで不足に思うのはやめようと思った。 主人が傍らに居てくれることに改めて感謝した・・。

   
 





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