アマンダおばさんの
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Random Diary♪♪
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8月21日(日)

<オリンピックから思うこと>
 次々入ってくるオリンピックの報道、金銀胴メダル獲得には元気をもらいますね。どの競技であれ一生懸命努力した人の姿には率直に感動を覚える。何事も諦めずにこだわり続けることが生きた証ともいえるのだと思う。けれど、メダルを獲得できなかった人の努力は無駄だったのだろうかというと、決してそうではないと私は思う。結果が出せれば結構なことではあるが、結果よりその間努力し、より高めを目指したその過程こそが評価されるべきものではないだろうか。解散したスマップの仲居君がかつて良いことを言っていた。「努力すれば成功する保証はないが、成長は保証される」と。けだし名言ではないだろうか。結果が出なければ価値を認められないのであればやる気はなくなる。努力するその過程にこそ成長がみられるのではないだろうか。日本人はそろそろ成熟した大人の反応を示すべき時が来ているのではないかと思う。

 そして、アスリートの成果の裏にはトレーナーを初めとして後方支援の家族など陰の力となって支えている人たちのいることを忘れてはならないと思う。かつて女子マラソンで銅メダルを獲得したAさんはゴール後のインタビューで、「自分を褒めたいと思います」と言っていたが、さもありなんと思う一方で、陰でサポートしてくれた人達への感謝が先ではないかと、そう思ったことを思い出す。

 今日行われたブラジル対ドイツのサッカーも感動だった。1-1の同点の中、PK戦にもつれ込み結果ネイマール選手の成功で5-4の金メダルを獲得した。ブラジルに初めてもたらした金だったことに少々驚いたが、自国開催の初めての金だったことに、他国のアウトサイダーであるおばちゃんの私でさえも共に喜び心から祝福した。私が感動したのはそれだけではない。国旗掲揚の後に歌う国歌に選手はもとより、観客、そしてパブリックビューアーまた、恐らくブラジル国民が一つ心になって歌ったことだった。涙ながらに歌っている人もたくさんいた。正々堂々と、大声で自信を持って歌う姿より、ブラジル国民の自国を愛する魂が見て取ることができた。
 が、ふと日本はどうであろうかと振り返った時、日本の国歌である「君が代」を声高々に歌う人がどれだけいるだろうと思ったのだ。ブラジル国民ほどの熱心さで歌っているだろうか。確かに歌詞に問題があるという指摘は無視できないものがあるが、今現在日本の国歌が「君が代」である限り、精いっぱい歌うことが国民の義務であり、権利であるのではないだろうか。日本と言う国の中でその法律に従い義務を果たし、あるいは法律に守られて恩恵に浴している限り、自国の国歌を歌うことは必至のことであり、愛国心につながることではないか。
 子供たちが小さい頃そして学生だった頃、入学式や卒業式には決まって「君が代」の国歌を歌うのが恒例だった。しかし、生徒を教える立場の先生が歌わず、また保護者も小さい声で遠慮がちに歌い、子供達の声だけが小さく体育館に響いていた嫌な思い出が残っている。気が付くと、私だけが熱唱してまるで独演会のようだった。私は決して右翼でもなく、ただの日本のおばちゃん(おばあちゃん)だが、物事は何でも一生懸命すべき事くらいはわかっているつもり。ブラジルを初めとする各諸外国が自分の国を愛し、熱心にそして高らかに自国の国歌を歌う様を見てふと寂しく思った次第だった。

 男子400メートルの銀メダル獲得も近年稀にみる特筆すべき出来事だった。誰もが予想だにしなかったことだと言う。金獲得のジャマイカ選手のボルトは、「日本はチームワークがいい。チームメートを信頼しているのも分かる」と称賛していた。日本は和の国、和服、和食、和菓子、和室、
和食器、和楽器・・と和が付く言葉がたくさんあるように、日本は英語で言う所のharmony、和する国なのだと改めて思う。個人主義の欧米に対して、和の心のDNAを持つ日本、その和の国で自分がなすべきことは人との和であり、人と仲良くすることだと思う。ちょっと相手に不足を思ったとしても、「お互い様」ではないか、と思うだけで怒りの矛先を収めることができる。
 いずれにしてもオリンピックの基本精神である政治、宗教、民族人種を超えた共生の精神を今こそ皆が認識する時ではないだろうか・・・。
 *今回のダイアリーも理屈っぽくてごめんなさい(詫)。

 <子犬の情報>
 /6生まれ シルバープードル メス;ティーカップ、 オス;タイニーサイズ
 /9生まれ レッドプードルオス、メス; タイニーサイズ
 /15生まれ レッドメス;タイニーサイズ
 /17生まれ シルバー プードル オス ;タイニー、およびトイサイズ
  *皆元気な子達です。よろしくご検討くださいませ。


8月11日(木)

<嫁>

 先日の事だった。近畿地方に住んでいる長男の嫁のお母さんとの電話で、両家の共通の孫Hが5月にディズニーランドやキッザ二アにお母さんと嫁とで一緒に行ったという話を耳にした。さぞ楽しかったんだろうな、と思う一方で、長男家族と我々とは同じ仙台市内、南北に離れているとはいえ、どうして最近孫の顔を見せに遊びに来てくれないのだろうと少々不足に思ってしまった。お互い仕事を持つ身ゆえ、会う機会が取れないことをわかってはいてもやるせない気持ちを嫁に向けていた。

 主人に相談すると、「君が仕事で忙しいと思って遠慮しているんじゃないの。そういう時はこっちからこの日にどうですか、と提案してみればいいんだよ」と言うのだった。それもそうだと思い、早速長男と嫁に、孫娘を遊びによこさないかとメールを入れた。ところが待てど暮らせど返信メールが来ない。「なんだ、やっぱりこっちに来たくないのかなー」と疑惑が暴走し始めた翌日、やっと嫁から電話が入った。「申し訳ありませんでした、赤ちゃんを寝かしつけた後爆睡してしまって・・・、しばらくメールを見ておりませんでした」と、いつもながらの素直な嫁の対応。それに乗じて、思いの丈を言ってしまった。すると嫁は、「申し訳ありませんでした。それではKさんに聞いて後で連絡いたしますね。すみませんでした。」と言ってくれたのでした。受話器を置いた後、何か悪意があってのことではなく、ただ単に多忙だったからだということが分かった。が、その時こうありたい、こうしてほしいと、人に押し付けている自分の姿に情けなく思った。人として姑として正しい行いをしていればおのずと物事は良い方向に采配してくれるもの、そうであれば今目の前に現れている現状は足りない自分の結果であり、相手を責める何物でもないのに、と、嫁を責めていた自分に深く反省させられた。

 振り返ると私は、主人の父が早くに亡くなり、義母は籍を離れて縁遠いことを良いことに、主人の親に心懸けることはあまりなかったように思う。実家の両親にのみ心を寄せ、親に喜んでもらいたいと、子供たちをよく実家に連れて行ったり、いろいろなイベントや旅行にも一緒に誘ったものだ。けれど、同じく大切に育ててくれた主人の親にどれだけの孝行を尽くしてきただろうか、と振り返ると、自分が同じ姑の立場に立った時、今は亡き主人の両親にさびしい思いをさせてきたことを、申し訳なく思わされた。
 そうした時、長男から電話が入った。今大学から派遣されて半年の予定で郡部の病院に単身赴任しているとの事、土日も家に帰れないことが多いと近況を知らせてくれた。メールの返信が遅れたのは激務でメールチェックする暇がなかったためとわかった。何度も「すいませんでした」「悪かったねー」と素直に謝る長男の姿に、かつての思春期、私にきつい言葉を投げてよこした面影は消えていた。休みの日は家でゆっくりしたい、という父親が多い中、休日には率先して子供たちを連れ、家族でいろいろなところに出かけるのを楽しみにしている長男だ。その姿はまさしく、かつての主人の姿であった。
 嫁は、長男不在の中4歳の子を幼稚園に、そして生後8か月の双子の子達を保育園に預け、市内を横断して某総合病院で内科医として勤務。帰宅後はそれぞれ2か所の預け場所に迎えに行き夕食を作って食べさせ、お風呂に入れたあと更なる資格試験のため勉強をしているようだ。「ママ、赤ちゃんにおっぱいやりながらお勉強しているの」と言う4歳の孫の電話の言葉よりそのことがわかった。どんなにか大変な思いをし、嫁一人でやりこなしていたかを知った時、そのことを一切言わず、愚痴や言い訳をしない嫁の謙虚な人柄に、改めて素晴らしいと感じることができた。

 私の気持ちを理解してくれた嫁は早速に、スケジュールに鑑みながらお盆休みの楽しいイベントを提案してくれた。相談の結果、皆で長男の赴任先に行き、長男を含め皆で近くの大きい公園で川遊びをすることになった。また4歳の孫を我々のところに一人お泊り会をさせるという計画もあり、絵本を読んであげたり花火をしたり、望遠鏡で星も観察しようと、今からわくわくと楽しみだ。嫁からは「Hをいつも気にかけてくださり有難うございます」とメールが届いた。
 今回のことでより以上に長男や嫁の状況がわかり嫁の良いところがわかったことが感謝だった。
また、嫁は他家から預かった大切なお嬢さん、姑は嫁に幸せな一生を過ごさせてやる責任があるのだと改めて思った。

 一連の流れの中、人と仲良くするキーワード「有難う」「すみません」「はい」の言葉が互いに飛び交ったことがとても嬉しく感じさせられた。
 間もなく終戦記念日が訪れるが、ISを初め戦争は今でも絶えることなく各地で勃発している。誤解が疑心暗鬼になり、増幅して憎しみに変わりテロや戦争が起こることを思う時、自らが戦争の加担者になることのないよう、身近な夫婦を初めとして、子や孫、そして、嫁が仲良く過ごす足元からの家庭愛和を実践したい・・。

 *6月6日生まれ シルバー オス(タイニー)、メス(ティーカップ)
   6月9日生まれ レッド オス、メス(タイニー)をアップ中です。
  よろしくご検討くださいませ。


8月1日(月)

<テロや戦争の大本は?>

 6月末、大人の休日フリー切符を利用し、主人と共に東京と函館に行って来た。
 東京は、日頃行きたいと思っていたインテリアショップに行くことが目的だった。その前に腹ごしらえとばかり、ホテルのブッフェに一目散。前もって予約していた席は真ん前にスカイツリーが見えるベストスポット! シャンパングラスを手に優雅な気分で主人と「カンパイ!」をした。
 ところがいざ食事をしようとしたその時、主人のシャンパングラスが私めがけてまっしぐら、ひっくり返ってシャンパンが洋服にしっかとかかってしまったのだ。「あーらら、どうしましょう。これからショップに行くというのに・・・困った!」と思った。
 ティッシュで必死に拭いている最中「寛容の心、寛容の心」と呪文を唱えた。そしてその時、私はある本で小池龍一さんというお坊さんの書いた文章を思い出した。第一の矢である不慮の出来事はいつでも誰にでも起こること。それ自体は自然なことであるけれども、それに対して問題なのは、嘆いたり腹を立てたり文句を言うことで、「何でこうなるんだ」とか「許せない」などとマイナスの受け取り方をするから心と体に第二の矢が刺さり、物事が悪い方向に進んでいくのです、という内容だった。そうした時、シャンパンがかかったことは不慮の出来事で仕方がない事だけれども、第2の矢を刺すのはやめよう、起こるべくして起こったことに腹を立てることはすまい、「これで良し」「現実大肯定」と思うことにした。  また、主人は若い時にバイクのツーリングで怪我をし、大手術をして命は助かったものの、それ以来右手が不自由なのだ。いろいろとへまをするのはそのせい。主人の命があることに、もっと感謝しなさい、とその時のことを思い出させるためにこうして目の前で表してくれるのだとも気付かせられた。
 幸いシャンパンは拭いてしまえば目立つほどではなかった。腹を立てていたら、楽しいはずの主人との旅行も台無しにしていただろう。が、どう受け取ったら良いかあれこれポッと浮かんでは心切り替えることができるのが有難い。

 1日おいて、今度は新しく新幹線が通(とお)った函館に1泊旅行をした。予約した席はその車両の一番前、後ろを振り返ると、車両全部が老人一色に染まっていた。自分たちもその一人ではあるのだが、男性65歳以上、女性60歳以上が何度乗ってもフリーだというのだから考えることは皆同じなんだと思った。やがて函館の駅に着いたが、そこでも来る人来る人皆高齢者ばかり、漫談のきみまろさんが来てすぐにでも独演会を開けるような光景だった。
 レンタカーで「湯の川温泉」に向かうと、北海道が初めての私に主人は楽しませようと、途中函館山のロープウエイや五稜郭などいろいろ立ち寄って見せてくれた。ホテルは屋上が露天風呂で津軽海峡が一望できるとの事、到着後ルンルン気分で早速お風呂に直行した。そして露天風呂に入ろうとすると、岩の淵のところに私と同じ年齢くらいのおばちゃん、というかおばあちゃん?たちが4人、豊満な肉体を隠そうともしないで座っている。広いともいえないお風呂なので聞くともなしに話が聞こえてきた。どうも4人は職場の仲間で、内容は仕事場の人のうわさ話と愚痴、そして悪口のようだった。そのうち出ていくのだろうと思い様子を伺っていたが、一向に出ていく気配なくおしゃべりを続けている。折角の雄大な津軽海峡の景色も、BGMのように聞こえてくる愚痴話で少々興冷め。が、シャンプーをしている間には帰るだろうと中に入って髪を洗い、再び露天風呂に入ろうと思ったら、・・・まだいたのだった! 「よくのぼせないなー」と感心しながら、諦めて髪を乾かし、出て行こうとふと見ると、まだ4人組はいたのだった!「よほど話が盛り上がっているんだなー。そんなに話すことがあるんだったら部屋でしゃべったらいいんじゃないか、と思いつつ、これが本当の「裸のつきあい」というものか、等と思いながら部屋に戻った。
 後で振り返り、ふと、・・・あの場合一人でも前向きに話を切り返す人はいなかったのだろうかと思った。「でもあの人、こういう良いところがあるよね」などと・・。

 海外のオプショナルツアーに参加すると、「主人と旅行してもつまらないから犬と留守番させているの」という女性グループや「余計なものを買って」と口喧嘩をしているご夫妻に出会うことがある。
 南フランスのニースでは84名の人がテロの犠牲になり亡くなった。主人とともに訪れたことのあるニース。事件のあった道路に隣接する遊歩道は地中海に沿って、ローラースケートやジョギングを楽しむ憩いの場だった。その場所であのような残忍な事件が起こったことに大変心を痛めている。

 間もなく8月6日広島、9日長崎への原爆投下の日がやってくる。そして15日は終戦記念日。戦争は人を拒否し、人の悪を言う一人一人の心が火種となって起こる。
 事件を「対岸の火事」ととらえるのではなく、自らが人の悪を言うことなく、家庭の中で夫婦がまず仲良く過ごしていきたいと思うものだ・・・。

*まだ全て完成してはおりませんが、遅ればせながらワンコをご覧いただく応接室が出来上がりました(上記写真)。ワンちゃんの動きなども以前より良く見れます。気になるワンちゃんがおりましたら、どうぞご見学においでください。




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